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マクシミリアーノ・ガストン・ロペス(Maximiliano Gastón López, 1984年4月3日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。トリノFC所属。通称マキシ・ロペス。 なお、父方の祖父母がモリーゼ州カンポバッソ出身であるため、イタリアのパスポートも有したイタリア系アルゼンチン人である。 == 経歴 == 8歳で名門CAリーベル・プレートの下部組織に加入。早くからその才能を見込まれ、「ガブリエル・バティストゥータ2世」と呼ばれる。U-15、U-17のアルゼンチン代表で活躍し、U-17ではカルロス・テベスやハビエル・マスチェラーノと共にU-17世界選手権ベスト4入りの原動力となる。17歳でラモン・ディアス率いるトップチームに昇格、ハビエル・サビオラが付けていた背番号7を背負う。この時期、イタリア・セリエAのレッジーナからオファーを受けるが、時期尚早と判断しオファーを断っている。 2003年初頭、極度の不振によりトップチームから遠ざかり、ワールドユースの代表入りも逃してしまう。しかしながら翌年に復調、レギュラーとしてプレーする機会が増え、2トップを組んでいたフェルナンド・カベナギの移籍後はチームの中心的な存在となる。 2005年1月、ヘンリク・ラーションの大ケガでセンターフォワードが不足したFCバルセロナへ加入。UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント第1戦チェルシー戦では同点ゴール、そして逆転ゴールに絡むシュートを放ち、救世主的存在となる。しかしラーションが復帰した後は出場機会が激減。出場機会を求め、06/07シーズンよりRCDマジョルカにレンタル移籍するも2得点を挙げるに留まる。 2007年夏、200万ユーロ(約3億1000万円)でFCモスクワ(ロシア)への移籍。07/08シーズンは9試合6得点とチームのリーグ戦4位躍進に大きな貢献を果たす。 2009年、ブラジルのグレミオへレンタル移籍。 2010年にはイタリアのカルチョ・カターニアへ完全移籍、4年契約を結んだ。ロペスは降格圏だった同チームを、最終節を待たずして残留確定させる原動力となった。 2012年の1月下旬、ACミランへレンタル移籍した〔テベス獲得実現せず、ミラン新戦力はM・ロペス Goal.com 2012.01.28〕。 2015年1月13日、トリノFCに移籍した〔M・ロペス、キエーヴォからトリノへ移籍 Goal 2015.01.14〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マクシミリアーノ・ロペス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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