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マキノ芸能社(-げいのうしゃ、1946年6月 設立 - 1948年10月 解散)は、かつて京都に存在した芸能興行会社である。戦前の「マキノ・プロダクション」で知られる牧野省三の三男で映画監督のマキノ真三、女優の宮城千賀子の夫妻が設立・経営したことで知られる。同社傘下で映画を製作した「マキノ映画(-えいが)」についても実質同社であるため、本項に詳述する。 == 略歴・概要 == 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)〔立命館大学衣笠キャンパスの「マキノ・プロジェクト」サイト内の「管家紅葉 氏談話 」の記述を参照。〕6月〔『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社、1980年)の「宮城千賀子」の項(p.666-669)を参照。同項執筆は滝沢一・司馬叡三。〕にマキノ真三と宮城千賀子が設立、戦後舞台に復帰した宮城が設立した「劇団なでしこ」による演劇の興行や、出版部が雑誌「マキノ」(1947年10月 - 1948年1月)を出版した。当時の「ニューフェイス」には、のちの女優・作家の高森和子(当時・桜真智子)がいた。専属俳優には月形哲之介ら、専属演出家には並木鏡太郎がいた〔。 1948年(昭和23年)には、傘下に「マキノ映画」を設立、真三が監督、宮城が主演、霧立のぼるら宝塚歌劇団出身の女優を配した『桜御殿』を製作したが、同年10月に負債を残して解散した。その後の1953年(昭和28年)に真三と宮城は離婚した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マキノ芸能社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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