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マキン奇襲(まきんきしゅう)とは、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)8月17日から翌日にかけて、ギルバート諸島ブタリタリ環礁(当時の呼称はマキン環礁)で、アメリカ軍が日本軍に対して行ったコマンド作戦である。アメリカ軍は潜水艦で海兵隊を送りこみ、マキンに駐屯していた日本海軍陸戦隊を壊滅させて引き上げた。 ==背景== 太平洋戦争開戦時にイギリス領だったブタリタリ環礁は、開戦直後の1941年(昭和16年)12月10日に日本海軍の第51警備隊の一部などにより無血占領された。日本海軍の意図はマーシャル諸島防衛のための哨戒拠点確保などで、小規模な水上機基地を設置したが、それほど厳重な防備は施さなかった。1942年2月1日にアメリカ海軍機動部隊によるマーシャル・ギルバート諸島機動空襲を受けても、特に守備兵力の強化は行われなかった〔この2月1日の空襲で、特設砲艦「長田丸」中破、飛行艇2機炎上。〕。1942年8月時点では、守備兵力はジャルート環礁(ヤルート島)の第62警備隊(第51警備隊改称)から派遣された海軍陸戦隊1個小隊64人(長:金光久三郎兵曹長)のほか、航空隊の整備員3人、気象観測員4人、軍属の通訳2人だった〔防衛庁防衛研修所戦史室『中部太平洋方面海軍作戦(2)』、108頁。〕。なお、島には原住民の集落があり、民間の日本人2人、スイス人1人も住んでいた。 ブタリタリ環礁の防備が手薄と判断したアメリカ軍は、コマンド部隊による奇襲攻撃を行うことを計画した。その主な狙いは、8月7日に始まったガダルカナル島の戦いの陽動作戦で、日本軍の戦力をソロモン諸島方面から引き抜かせることにあった。また、基地施設の破壊、暗号書などの情報収集、コマンド部隊の実戦試験、国民の戦意高揚のための「勝利」を得ることも目的とされていた〔''Pearl Harbor To Guadalcanal, History of US Marine Corps Operations in World War II, Volume V'' , pp.285-286〕。 ちょうど適当な奇襲戦力として、第2海兵奇襲大隊が2か月ほど前に編成されており、使用可能な状態だった。大隊長のエヴァンズ・カールソン中佐は、日中戦争中に中国共産党軍の軍事顧問として活動していた、ゲリラ戦の専門家である。次席指揮官のジェームズ・ルーズベルト少佐は、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの長男であった〔実松、190頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マキン奇襲」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Makin Island raid 」があります。 スポンサード リンク
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