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マクタブ・アル=ヒダマト
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マクタブ・アル=ヒダマト : ウィキペディア日本語版 | マクタブ・アル=ヒダマト マクタブ・アル=ヒダマト (, ,MAK)は、1984年にアブドゥッラー・アッザームとウサーマ・ビン=ラーディンがパキスタンにおいて、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に対抗するアラビア人ムジャーヒディーンのリクルートとその財政的基盤確立のために設立した組織である。「サービス局」(Afghan Services Bureau)という名でも知られている。MAKは1990年以降に世界各地でテロを繰り広げたイスラーム過激派・アルカーイダの母体となった。 ==概要== ソビエト軍によるアフガニスタン侵攻に対抗する義勇兵としてMAKはおよそ100のムジャーヒディーン集団を創設した。この基金としてアラブ諸国だけでなく西欧、北米から200万ドルの資金を調達した。MAKはアメリカの中央情報局(CIA)を通じてパキスタン統合情報局(ISI)とサウジアラビア総合情報庁(GIP)から直接の支援を受けた。ムジャーヒディーンのアフガニスタン行きの旅費など全てMAKが支給した〔Katz, Samuel M. "Relentless Pursuit: The DSS and the manhunt for the al-Qaeda terrorists", 2002〕。 アフガニスタンからソ連軍が撤退する頃になるとMAK内部でアブドゥッラー・アッザームとアイマン・ザワーヒリーとの間で路線対立が表面化する。ザワーヒリーらエジプト・イスラム・ジハード団(EIJ)から合流していたムジャーヒディーンらはMAKを世界各地にイスラム国家を樹立するためのジハードの集団としたかった。一方、アッザームはMAKの資金と組織はまずアフガニスタンでのイスラム国家建国に向けられるべきだと主張した。1989年11月、MAK創設者のアッザームは何者かによってペシャーワルで爆殺されMAKのトップにはナンバー2だったウサーマ・ビン=ラーディンが就任した。ビン=ラーディンはアッザームの方針に理解を示していたが、これ以降、MAKの路線はEIJの考えに沿って進み、MAKはアルカーイダに改組された。
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