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ファイフ公爵()は、イギリスの公爵位。連合王国貴族。スコットランドのファイフにちなむ。ウェールズ公アルバート・エドワード王子(後のイギリス王エドワード7世)の長女であるルイーズ王女の夫となった第6代ファイフ伯爵アレグザンダー・ダフに対して1889年と1900年の二度創設されたことに始まる。王族に対するものを除くと、イギリスにおいて最後に創設された公爵位である。 2015年現在、公爵家の邸宅はアバディーンシャー のストーンヘイヴン()近くにあるエルシック・ハウス()である。 == 歴史 == アレグザンダー・ダフ()は第5代ファイフ伯爵ジェイムズ・ダフ()の息子で(ウィリアム4世の曾孫でもある)、エルギンシャー・ネアンシャー()選出庶民院議員となり、後にジェントルマン・アット・アームス隊長(、在職: 1880年 - 1881年)やエルギンシャーの州知事(地方長官; 、在職: 1892年 - 1902年)を務めた人物である。1879年に父親の死去によって第6代ファイフ伯爵(; 1759年創設のアイルランド貴族)となり、1885年にヴィクトリア女王によってファイフ伯爵(; 連合王国貴族)にも叙された。 1889年にアレグザンダーとルイーズ王女はバッキンガム宮殿で結婚式を挙げ、ヴィクトリア女王はアレグザンダーをファイフ公爵およびマクダフ侯爵(; ともに連合王国貴族)に叙した。このときの勅許状()では、爵位は初代公の(直系男子) に相続されると定められていたが、アレグザンダーとルイーズの間には夭逝した長男アラステア以後男子が生まれなかった。そこで1900年に女王は、「初代公の女子、およびその直系男子」にも相続を認めるという付きでファイフ公爵およびマクダフ伯爵(; 連合王国貴族)に叙した。 1912年にアレグザンダーが歿すると、ファイフ伯爵(との両方)および第1期のファイフ公爵は断絶したが、第2期のファイフ公爵位は長女のアレグザンドラ王女によって相続された。アレグザンドラと夫アーサー王子の間に生まれた一人息子の第2代コノート公爵アラステア・ウィンザー()は未婚のまま彼女より先に歿したため、妹モード王女()とその夫の第11代サウスエスク伯爵チャールズ・カーネギー()の間に生まれたジェイムズ・カーネギーが3代公となった。 3代公となったジェイムズは、これに加えて父親からサウスエスク伯爵(; 1633年創設)をはじめとするスコットランド貴族の爵位も相続した。現在ファイフ公爵の法定推定相続人は儀礼称号としてサウスエスク伯爵と称している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ファイフ公爵」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Duke of Fife 」があります。 スポンサード リンク
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