翻訳と辞書
Words near each other
・ マケドニア・ディナール
・ マケドニア・デナール
・ マケドニア・プルヴァ・リーガ
・ マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国
・ マケドニア人
・ マケドニア人民共和国
・ マケドニア人民解放反ファシスト会議
・ マケドニア共和国
・ マケドニア共和国 (1991年)
・ マケドニア共和国のイスラム教
マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト
・ マケドニア共和国の世界遺産
・ マケドニア共和国の国会
・ マケドニア共和国の国旗
・ マケドニア共和国の国歌
・ マケドニア共和国の国章
・ マケドニア共和国の国鉄
・ マケドニア共和国の地方行政区画
・ マケドニア共和国の基礎自治体
・ マケドニア共和国の大統領


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト : ミニ英和和英辞書
マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト[まけどにあきょうわこくのゆーろびじょんそんぐこんてすと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ども]
  1. (suf) indicates plural - humble referring to oneself, disdainful referring to others 
共和 : [きょうわ]
 【名詞】 1. republicanism 2. cooperation 
共和国 : [きょうわこく]
 【名詞】 1. republic 2. commonwealth 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト : ウィキペディア日本語版
マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト[まけどにあきょうわこくのゆーろびじょんそんぐこんてすと]

マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト()では、マケドニア共和国におけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。マケドニア共和国は、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」(略称: FYR Macedonia〔Eurovision.tv: Macedonia 〕)の呼称でユーロビジョン・ソング・コンテストに参加している〔Participating member of EBU〕。
マケドニア共和国はユーロビジョン・ソング・コンテスト1998で大会に初出場したが、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1996でも予選に参加している。参加したのはカリオピの「Samo ti」()であったが、決勝に進むことはできなかった。
マケドニア共和国が最高の順位につけたのは、ギリシャアテネで開かれたユーロビジョン・ソング・コンテスト2006であり、エレナ・リステスカが「Ninanajna」()を歌い、12位となった。2008年までの間、翌年大会で自動的に決勝進出が決まる10位以内に進むことは一度もなかったが、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008を除いて1998年以降全て決勝進出を決めている。2008年大会に参加したのはタマラ・トデフスカヴルチャクアドリアン・ガジャの3人で、彼らは準決勝では電話投票で10番目となった。決勝に進出できる10組のうち、最後の1組は電話投票ではなく審査員の推薦によって選ばれる。このとき審査員がスウェーデンを選んだため、彼らは決勝進出を果たすことができなかった。
マケドニア国営放送(Makedonska Radio Televizija; MKRTV)がこの大会を放送し、大会に参加するマケドニア共和国代表は、マケドニア国営放送のスコピエ・フェストによって選ばれる。財政難のためにスコピエ・フェストはたびたび中断されており、そのため2004年から2007年まではマケドニア代表はスコピエ・フェストの枠外にて選ばれている。
マケドニア共和国が1991年に独立を宣言する前、マケドニアはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国・マケドニア社会主義共和国であり、他のユーゴスラビア構成諸国とともにユーゴヴィジヤJugovizija)と呼ばれるユーゴスラビア国内選考に参加していた〔Jugovizija statistics by year , ''Eurodalmatia'' official ESC fan club, Dalmatia, Croatia〕。また、マケドニアの作曲者たちは他のユーゴスラビア諸国の代表の曲を制作してきた〔Official Site of OGAE FYR Macedonia, see section: ''Jugovizija''.〕。しかし、マケドニアからはユーゴスラビア代表としてユーロビジョンに参加することはできなかった。1980年には、マケドニア代表のマヤ・オジャクリエフスカ()がユーゴスラビアの国内選考で優勝したものの〔Jugovizija statistics by year , ''Eurodalmatia'' official ESC fan club, Dalmatia, Croatia〕、この年ユーゴスラビアはユーロビジョン・ソング・コンテスト1980には参加しなかった。
== 参加者 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マケドニア共和国のユーロビジョン・ソング・コンテスト」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.