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マッカーサー元帥 : ミニ英和和英辞書
マッカーサー元帥[そつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
元帥 : [げんすい]
 【名詞】 1. (field) marshal 2. (fleet) admiral 3. general of the army 
: [そつ]
 (n) (ancient) governor

マッカーサー元帥 ( リダイレクト:ダグラス・マッカーサー ) : ウィキペディア日本語版
ダグラス・マッカーサー[そつ]

ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカ軍人陸軍元帥連合国軍最高司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
マッカーサー家は元々はスコットランド貴族の血筋で、キャンベル氏族の流れを汲み、スコットランド独立戦争ロバート1世に与して広大な領土を得たが、その後は領主同士の勢力争いに敗れ、没落したと伝えられている。1815年に祖父のの代にスコットランドからアメリカに移民し、マッカーサー家はアメリカ国民となった〔『マッカーサー回想録』 P.13〕。なお、同じスコットランド系のフランクリン・ルーズベルトとは7つの家系、ウィンストン・チャーチルとは8つの家系を隔てた遠戚関係にあたる〔『ダグラス・マッカーサー (上)』 P.29〕。
アーサー・マッカーサー・ジュニアは16歳のころに南北戦争に従軍した根っからの軍人であり、南北戦争が終わって一旦は除隊し、祖父と同様に法律の勉強をしたが長続きせず、1866年には軍に再入隊している。1875年ニューオーリンズジャクソン兵舎に勤務時に、ヴァージニア州ノーフォーク生まれでボルチモアの富裕な綿花業者の娘であったメアリー・ピンクニー・ハーディと結婚し、1880年に軍人である父の任地であったアーカンソー州リトルロックの兵器庫の兵営でマッカーサー家の三男としてダグラス・マッカーサーが誕生した。この頃は西部開拓時代の末期で、インディアンとの戦いのため、西部地区のあちらこちらに軍の砦が築かれており、マッカーサーが生まれて5ヶ月の時、一家はニューメキシコ州のウィンゲート砦に向かうこととなったが、その地で1883年に次男のマルコムが病死している。マルコムの病死は母メアリーに大きな衝撃を与え、残る2人の息子、特に三男ダグラスを溺愛するようになった。次いでフォート・セルデンの砦に父アーサーが転属となり、家族も付いていった。そのためダグラスは、幼少期のほとんどを軍の砦の中で生活することとなった〔『マッカーサー回想録』 P.32-33〕。
その後も一家は全国の任地を転々とするが、1898年米西戦争が始まると父アーサーは准将となり、スペインの植民地であったフィリピンに出征、マッカーサー家とフィリピンの深い縁の始まりとなった。戦争が終わり、フィリピンがスペインよりアメリカに割譲されると、少将に昇進し師団長になっていた父アーサーはその後に始まった米比戦争でも活躍し、在フィリピンのアメリカ軍司令官に昇進した〔『マッカーサー回想録』 P.50〕。しかし、1892年に兄アーサーはアナポリス海軍兵学校に入学し、1896年には海軍少尉として任官し、弟ダグラスもウェストポイント陸軍士官学校を目指し勉強中だったことから、家族はフィリピンに付いていかなかった〔『マッカーサー回想録』 P.36-39〕。
なお、ダグラスは幼少期、母メアリーによってフランスの風習に倣い、女子の格好をさせられていた。このことの人格形成への悪影響を危惧した父によって、陸軍士官学校に入学させられることになったとも言われている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダグラス・マッカーサー」の詳細全文を読む




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