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マックス・エルトマンスデルファー(Max Erdmannsdörfer 1848年6月14日 - 1905年2月14日)(時おり ''Max von Erdmannsdörfer''とされる)は、ドイツの指揮者、ピアニスト、作曲家。 == 生涯 == エルトマンスデルファーはニュルンベルクに生まれた。ライプツィヒ音楽院で学んだ後、〔訳注:ドイツ、テューリンゲン州の町。エアフルトから50km北にある。〕でカペルマイスターとなった。1874年、彼はリストの弟子であったパウリーネ・フィフトナー(Pauline Fichtner)と結婚した。彼女はその後公式にパウリーネ・エルドマンスデルファー・フィフトナーという名前を名乗るようになる。エルトマンスデルファーはリストと書簡をやり取りする仲となり〔Liszt’s letters 〕、1876年7月2日にはリストの交響詩「ハムレット(S.104)」をゾンデルスハウゼンで初演した〔Alan Walker, ''Franz Liszt'' 〕。また、彼は散逸していたリストの「ピアノ協奏曲第3番」の少なくとも一部の楽譜を所有しており、その草稿は1989年になって広くヴァイマル、ニュルンベルク、レニングラードに散らばっていた断片を合わせてひとつにまとめられた〔New York Times, 18 January 1989, New Liszt Concerto Discovered 〕。 エルトマンスデルファーはヨアヒム・ラフとも親しい間柄であった。彼と彼の妻は2人でラフから「ピアノ五重奏曲 Op.107」の2台ピアノ編曲版の献呈を受け、1877年9月22日にゾンデルスハウゼンでこれを初演している。パウリーネは1870年にも、ラフの「ピアノ組曲 ト短調」の献呈を受けている。エルトマンスデルファーはラフの死後、未完成で遺された「交響曲第11番 Op.214」を補筆完成させ、出版にこぎつけている〔Joachim Raff: Fantasy for Piano Quintet 〕。また、彼はアレグザンダー・マッケンジーの序曲「セルヴァンテス ''Cervantes''」を1877年にゾンデルスハウゼンで初演した〔JSTOR 〕。 1882年に、エルトマンスデルファーはモスクワに赴き、ロシア音楽協会の演奏会の首席指揮者およびモスクワ音楽院の教授に就任した。彼は妻と共に1889年までその地にとどまった〔Tchaikovsky Research: Pauline Erdmannsdörfer-Fichtner 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マックス・エルトマンスデルファー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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