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マックス・キャリー(Max George Carey, 1890年1月11日 - 1976年5月30日)は、1910~1920年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは中堅手。インディアナ州生まれ。右投げ、スイッチヒッター。ニックネームは"Scoops"(スクープス)。現役21年間で盗塁王を10度獲得した俊足の外野手だった。 == 経歴 == 彼の本名は"Max Carnarius"だが、名前が言い辛いという野球アナウンサーからの要望で、"Carey"に変えたのだという。1910年にマイナーのサウスベンド球団からピッツバーグ・パイレーツに入団。翌年から外野手のレギュラーとなる。1913年には持ち前の足の速さをで61盗塁をマークし自身初の盗塁王、また99得点を挙げて得点王となる。パイレーツには1926年シーズン途中まで所属していたが、1913年から1925年の13年間のうち、実に10度の最多盗塁を記録した。彼の盗塁の成功率は高く、1922年シーズンは51個の盗塁をマークし、失敗はわずかに2つだった。また1925年には打撃も好調で、自身最高の打率.343をマーク。初めて出場したワールドシリーズでも、キャリーは24打数11安打と活躍し、チームはこの年のワールドシリーズを制覇した。 1926年シーズンにパイレーツからウェイバーに登録され、ブルックリン・ロビンズに移籍。1929年に引退した。 引退後、1932年と1933年にブルックリン・ドジャーズの監督を務めた。その後は全米女子プロ野球リーグに関わり、1945年から1949年までリーグの理事長職をつとめ、監督としてもミルウォーキー・チックスやフォートウェイン・デイジーズを率いた。 1961年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1976年、フロリダ州マイアミで死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マックス・キャリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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