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マックス・フィードラー : ミニ英和和英辞書
マックス・フィードラー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

フィード : [ふぃーど]
 (n) feed, (n) feed
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マックス・フィードラー : ウィキペディア日本語版
マックス・フィードラー[ちょうおん]

アウグスト・マックス・フィードラーAugust Max Fiedler, 1859年12月21日 - 1939年12月1日)はドイツ指揮者作曲家ピアニスト
== 略歴 ==
オーバーラウジッツツィッタウに生まれる。音楽教師であった実父カール・アウグストより最初の音楽教育を受けた後、1877年から1880年までライプツィヒ音楽院ピアノ指揮法を学び、その間グスタフ・アルブレヒトに師事した。若い頃にヨハネス・ブラームスの交響曲をブラームス自身の前で指揮したことがあり、ブラームスは講評を求められると黙っていなかったが、フィードラーの解釈には不平不満を並べなかった〔David Watkin in the liner notes to Original Brams compact disc published by Beulah 2000〕。1882年から1908年までハンブルク音楽院に教授として勤務するかたわら、1904年ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任した。演奏旅行も精力的にこなし、1905年ニューヨーク・フィルハーモニーを指揮してアメリカ合衆国にデビューし、1907年にはロンドン交響楽団を指揮している。1908年に渡米してボストン交響楽団音楽監督に就任した。1912年にドイツに戻ると1934年までエッセン音楽総監督に就任した。最晩年はベルリンストックホルムに客演指揮者に迎えられ、1939年にストックホルムに客死した。
作曲家としては、交響曲序曲ピアノ五重奏曲弦楽四重奏曲ピアノ曲歌曲を手掛けた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マックス・フィードラー」の詳細全文を読む




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