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マックス・ミールヌイ : ミニ英和和英辞書
マックス・ミールヌイ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マックス・ミールヌイ ( リダイレクト:マックス・ミルヌイ ) : ウィキペディア日本語版
マックス・ミルヌイ[ちょうおん]

マックス・ミルヌイMax Mirnyi, , , 1977年7月6日 - )は、ベラルーシ(旧ソ連)・ミンスク出身の男子プロテニス選手。ダブルスの名手としてよく知られ、すべての4大大会で男子ダブルス部門の決勝進出記録を持つ選手である。2012年ロンドン五輪の混合ダブルスではビクトリア・アザレンカと組み金メダルを獲得した。ATPツアーでシングルスは1勝と少ないが、ダブルスで通算48勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス18位、ダブルス1位。身長195cm、体重93kgの長身選手。フルネームは ''Maxim Nikolaevich Mirnyi'' (マクシーム・ニカライヴィッチ・ミルヌイ)という。
== 来歴 ==
ミルヌイは父親の手ほどきで6歳からテニスを始め、1992年からアメリカフロリダ州ブレイデントンにある「ニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に留学した。1996年に19歳でプロ入り。1998年ウィンブルドン全米オープンの2大会連続で、混合ダブルスでセリーナ・ウィリアムズとペアを組んで優勝した。1999年にダブルスで年間4勝を挙げ、2000年全米オープン男子ダブルスで、レイトン・ヒューイットとコンビを組んで初優勝を飾った。ところが、この大会の混合ダブルスでアンナ・クルニコワとペアを組んで準優勝したことがきっかけで、ミルヌイには「野獣」(The Beast)というニックネームがついた。『美女と野獣』は元来フランスの民話であるが、1991年に製作されたディズニーアニメ映画美女と野獣』でさらに有名になった物語である。“美女”として人気絶頂にあったクルニコワと対比されて、ミルヌイは“野獣”と呼ばれるようになってしまった。
2002年全米オープン男子ダブルスで、マックス・ミルヌイはインドマヘシュ・ブパシとペアを組んで2年ぶり2度目の優勝を飾った。この大会では、ミルヌイはシングルスでアンドレ・アガシとの準々決勝に勝ち進み、4大大会シングルスの自己最高成績を出している。2003年にはダブルスで年間6勝を挙げたが、そのうち5つはブパシとのペアで、3月下旬の「マイアミ・マスターズ」でロジャー・フェデラーと組んだ優勝が1つある。この年には2月のオランダロッテルダム大会でシングルス初優勝を挙げたが、これは現時点でミルヌイの唯一のシングルス・タイトルである。
2005年には全仏オープン男子ダブルスでスウェーデンヨナス・ビョルクマンとペアを組み、アメリカマイク・ブライアン&ボブ・ブライアンの「ブライアン兄弟」を 2-6, 6-1, 6-4 で破って、4大大会男子ダブルス3勝目を挙げた。ミルヌイ&ビョルクマン組は2006年全仏オープン男子ダブルス決勝でも「ブライアン兄弟」に連勝し、全仏ダブルス2連覇を達成した。翌2007年全米オープンでは、同国の若手ビクトリア・アザレンカと組んだ混合ダブルスで2度目の優勝を果たした。2011年全仏オープンではダニエル・ネスターと組んで5年ぶり3度目の男子ダブルス優勝を果たし、2012年全仏オープンでも連覇した。
ミルヌイはオリンピックのベラルーシ代表選手としても、2000年シドニー五輪2004年アテネ五輪2008年北京五輪2012年ロンドン五輪の4度出場している。シドニーとアテネは男子ダブルスで、パートナーはウラジミール・ボルチコフと組んだ。シドニーではシングルスとダブルスの双方で準々決勝に進出したが、アテネではシングルスで3回戦、ダブルスで2回戦敗退に終わっている。北京ではシングルスのみに出場し、1回戦でニコラス・キーファーに 3-6, 1-6 で敗れた。この試合を最後にミルヌイはシングルスから撤退してダブルスに専念している。
4度目の出場となった2012年ロンドン五輪開会式ではベラルーシ選手団の旗手を務めた。ビクトリア・アザレンカとのペアで出場した混合ダブルスでは、決勝で地元イギリスアンディ・マリー&ローラ・ロブソン組を 2–6, 6–3, で破り金メダルを獲得した。
2013年全米オープンではチェコのアンドレア・フラバーチコバと組んだ混合ダブルスで決勝に進出し、アビゲイル・スピアーズ&サンティアゴ・ゴンサレス組を 7-6(5), 6–3 で破って優勝した。これにより4大大会ダブルス優勝を通算「10勝(男子ダブルス6、混合ダブルス4)」とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マックス・ミルヌイ」の詳細全文を読む




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