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マッシモ・スカリ : ウィキペディア日本語版
マッシモ・スカリ

マッシモ・スカリ(、1979年12月11日 - )は、イタリア出身の元男性フィギュアスケートアイスダンス選手。2010年世界選手権3位、2009年2010年ヨーロッパフィギュアスケート選手権2位、2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、2010年バンクーバーオリンピックイタリア代表。パートナーはフェデリカ・ファイエラなど。現在は引退し、コーチとして指導にあたっている。
== 経歴 ==
イタリアのモンテロトンドに生まれ11歳のころにスケートを始めた。ジュニア時代はフラビア・オッタビアーニとカップルを結成し、1996-1997シーズンの世界ジュニア選手権に初出場で22位となる。
1997-1998シーズンよりISUジュニアグランプリに参戦、2大会で連続優勝を果たし、JGPファイナルでは3位となるなど頭角を現した。1998-1999シーズンと1999-2000シーズンにはISUジュニアグランプリ3大会で優勝、1999-2000シーズンのイタリア選手権ジュニアクラスでも優勝したが、世界ジュニア選手権では4位となりメダル獲得はならなかった。同シーズン終了後にフラビア・オッタビアーニとのカップルは解消する。
2001年、ライバルチームにいたフェデリカ・ファイエラと新たにカップルを結成し、ISUグランプリシリーズに参戦。イタリア選手権では2位となりソルトレイクシティオリンピック代表に選出されたが、そのソルトレイクシティオリンピックでは18位に終わる。
2002-2003シーズン、イタリア選手権で初優勝を飾り、2004年ロシア杯ではISUグランプリシリーズ初表彰台の3位となるなど徐々に頭角を現した。地元イタリア開催のトリノオリンピックを控えた2005-2006シーズン、イタリア選手権でプロフィギュアスケーターから復帰したバーバラ・フーザル=ポリ&マウリツィオ・マルガリオ組に敗れたものの2位となり、2度目のオリンピック出場を勝ち取った。トリノオリンピックでは、コンパルソリーダンスで10位スタートとなったが、オリジナルダンスではステップシークエンスでの転倒が響き21位。フリーダンスで巻き返したものの総合13位に終わった。
2008-2009シーズン、NHK杯でグランプリシリーズ初めての優勝を果たしグランプリファイナルに進出。イタリア選手権では6度目の優勝を飾り、2009年欧州選手権では2位に入賞し初の表彰台に立った。
2009年、2010年の欧州選手権では2年連続の2位。地元イタリアで行われた2010年世界選手権では世界選手権で初めてのメダルとなる銅メダルを獲得した。
2010-2011シーズン、2011年欧州選手権で5位と惨敗したことで現役引退を決意。引退後はコーチであったパスカーレ・カメレンゴと共にアメリカのデトロイトでコーチ業を始めた〔Massimo Scali, la sfida continua 『Art On Ice』2012年5月2日〕。2014年6月にデトロイトから程近いミシガン州カントンのアークティックエッジスケートクラブに移籍し、マリナ・ズエワとの仕事を始めた〔Aldridge and Eaton make switch to Zoueva 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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