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マッシリア包囲戦(マッシリアほういせん、イタリア語:Assedio di Marsiglia)は、紀元前49年に行われたガイウス・ユリウス・カエサル派と元老院派によるローマ内戦の一局地戦である。なお、当項目ではマッシリア沖海戦及びマッシリア攻城戦も合わせて記載する。文中の日付はいずれもローマ暦である。 == 概要 == === 開戦まで === 紀元前49年1月10日、ルビコン川を渡ってイタリア本土へ軍を進めたカエサル軍に対して、元老院派のルキウス・ドミティウス・アヘノバルブスはコルフィニウム(現:コルフィーニオ)で籠城したが、不利と悟ったドミティウスはコルフィニウムより落ち延びた。 ドミティウス自身がこの年にガリア総督であったことやグナエウス・ポンペイウスの強固な支持基盤であったこともあって、マッシリア住民はドミティウスを迎え入れた上で、元老院派へ組する方針を固めた。ドミティウスは来るべきカエサル派との戦闘の最高責任者に任じられると、食糧を備蓄し、貨物船・軍船を整備する等、マッシリアの防衛体制を整えた。 カエサルは強固なポンペイウス(及び元老院派)の地盤であったヒスパニア攻略へ向かう予定であったが、マッシリアの反抗により後背の危険が生じたことから、マッシリアを包囲攻略すべく、デキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスを艦隊総司令官として戦闘指揮を一任、ガイウス・トレボニウスを陸地側より攻撃する部隊の司令官に任じ、カエサルはヒスパニアへと向かった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マッシリア包囲戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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