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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マット・ウインタース(Matthew Littleton Winters , 1960年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の元プロ野球選手(外野手)。からまで日本ハムファイターズに所属し、主に指名打者として出場した。 == 来歴・人物 == のMLBドラフト1巡目(全体の24番目)でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約。長いマイナーリーグ生活を経て、にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャー初昇格するが、その守備のお粗末さからか、なかなか昇格出来ずにいた。 アメリカでは芽が開かず、に日本ハムファイターズに入団〔。その1990年のオープン戦は不振で、監督の近藤貞雄からは「このままだと開幕は二軍スタート」と言われる。しかし、オープン戦最終戦で3安打を放ち開幕一軍を勝ち取ると、持ち前の長打力を発揮。打率は2割7分前後が主だったが、入団以来4年連続30本塁打以上と中心打者として活躍〔。 さらに当時はプレー以外でもパフォーマンスでファンを沸かせた。彼自身、TBS「筑紫哲也ニュース23」のインタビュー中でも「野球はエンターテイメントであり、(プレーでもパフォーマンスでも)観客を喜ばせることこそ自分の仕事」と語っている。 なお、パフォーマンスの内容は以下のようなものであった。 * カツラをつけて、相手チームである近鉄や(当時)ダイエーホークスのチアガールに混ざって踊る * マジックを披露する * ユニフォームを上下逆に着て逆立ちのフリをする * 試合が雨でノーゲームになった時、パントマイムでホームランを放ち、ダイヤモンドを一周。マットの敷かれた本塁へ水しぶきをあげてヘッドスライディング * 怪我でベンチを外れた試合で、東京ドームのライトスタンドからメガホンを持ってファンと声援を送る ファンサービスとパフォーマンスを忘れないスタイルは多くのファンに好かれ、「踊るホームラン王」の愛称で親しまれた〔なお、ウインタースは実際には日本ハム在籍中にホームラン王は獲得していない。〕。監督の大沢啓二もウインタースを気に入って、不動の4番として起用していた。引退後も来日すると必ず東京ドームの日本ハム戦に訪れ、ファンに混じり、何事もないようにスタンドに座っていることもあった。 明るく社交的であった反面、敬虔なクリスチャンであり、試合前はロッカールームで静かに聖書を読んで心を落ち着かせているところを他の選手たちに目撃されている。バットのグリップエンドに背番号である「10」という数字が書かれていたが、その「0」の真ん中に「十」と描き込むほどの熱心な信者だった。 は打率.260、22本塁打、81打点という成績だったが、日本ハムを退団して同年を最後に現役を引退〔。 引退後はマイナーリーグのコーチ、スカウトを経て、現在は北海道日本ハムファイターズ駐米スカウトを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マット・ウインタース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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