|
マット・モリス(Matthew Christian Morris , 1974年8月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ミドルタウン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 == 経歴 == 高校時代は野球のほかにサッカー、バスケットボールもプレーしていたモリスは、ニュージャージーにあるシートン・ホール大学へ進学する。3年間で21勝と好成績をおさめ、1995年のドラフトでカージナルスに1巡目(全体の12番目)で指名され入団する。 マイナーでも期待通りの成績を残し、には開幕ロースターに残りローテーション入りを果たす。トッド・ストットルマイヤー、アンディ・ベネス、アラン・ベネスの兄弟、ドノバン・オズボーンに続く先発5番手と思われていたが、終わってみればチームトップタイの12勝をあげ新人王も期待された。だが、ふたを開けてみれば惜しくもスコット・ローレンに次ぐ2位で終わった。翌は肩の故障などで2度DL入りし17試合の登板にとどまったが、防御率は前年よりも下げ順調に成長しているかに見えた。しかしのスプリング・トレーニングで肘を痛めてしまい、4月13日にトミー・ジョン手術を受けシーズン全休となった。シーズン序盤はほぼリハビリに費やし、5月末に昇格後は術後の球数制限もありリリーフとして登板、ナ・リーグ中地区優勝に貢献する。 傷も癒えたは22勝をあげ最多勝利とカムバック賞を獲得、オールスターにも選出された。カージナルスの20勝投手は1970年のボブ・ギブソン以来であった。名実共にカージナルスのエースとなったモリスはにも中地区優勝に貢献、には念願のワールドシリーズへと進出する。しかしレッドソックスに4連敗、モリスも防御率8.31と散々な結果となった。オフには違和感を覚えていた右肩の手術を行っている。はDLで開幕をむかえたが、クリス・カーペンター、マーク・マルダーに続く3番手として、5年連続の2ケタ勝利をあげ中地区優勝に貢献。リーグチャンピオンシップシリーズではヒューストン・アストロズに2勝4敗で敗れた。FAとなったモリスは12月13日にジャイアンツと3年総額2,700万ドルで契約し、カージナルスを去ることとなった。5度のポストシーズン進出に貢献したモリスであったが、通算15試合に登板して防御率4.05、2勝4敗とレギュラーシーズンほどの成績は残せなかった。彼が去ったにカージナルスがワールドシリーズに優勝したのは皮肉な結果である。 ジャイアンツに移ったは6年連続の2ケタ勝利こそあげたが、自己ワーストの防御率4.98と安定感を欠いた投球内容となった。はシーズン中盤から調子を落とし、ラージャイ・デービスとマイナー選手との交換でピッツバーグ・パイレーツに放出された。だがその後も不振が続き、4月27日にパイレーツから解雇され、3日後の4月30日に現役引退を表明。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マット・モリス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|