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マティアス・フォークト : ミニ英和和英辞書
マティアス・フォークト[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マティアス・フォークト : ウィキペディア日本語版
マティアス・フォークト[ちょうおん]

マティアス・テオドーア・フォークト(Matthias Theodor Vogt, 1959年 - )は、ローマ生まれのドイツ歴史家音楽学者。1997年より、ツィッタウ・ゲルリッツ大学 (Hochschule Zittau/Görlitz) において文化政策および文化史教授を務めている。また、ザクセン文化インフラストラクチャー研究所 (Institut für kulturelle Infrastruktur Sachsen) の創設者である。専門領域は、哲学ドイツ学および音楽学〔http://kultur.org/images/media/vogt_cv_2011.pdf〕。1990年以降は、文化における政治・経済とともに、ヨーロッパでの文化変容に関する諸問題を調査している。100冊以上の出版物の著者もしくは編者であり、それらは広くベルリンブリュッセルフランクフルト・アム・マインニューヨークオックスフォードウィーン、そして東京で出版されている。さらに、ユネスコが後援する、文化の発展に関わる諸機関・団体との協同も行っている。ドイツ政府および各地域の公的機関との仕事に携わってきたフォークトは、ヨーロッパ、特にドイツにおいて、文化政策に関する研究者であるとともに、文化政策の改革者であるともみなされている。
== 経歴および研究活動 ==
フライブルク・イム・ブライスガウの近隣地域で育った。祖父は、ナチスによってを免職されたである〔Anglia – Zeitschrift für englische Philologie. Band 1961, Heft 79, Seiten 249–252. ISSN 1865-8938 (Online), ISSN 0340-5222 (Print), doi:10.1515/angl.1961.1961.79.249, November 2009.〕。5歳の頃、フルートを習い始めた。1971年からは、バーゼル音楽院でニコラウス・ウーレンフート (Nikolaus Uhlenhut)、後にはフライブルク音楽大学のアティス・タイヒマニス (Atis Teichmanis) とチェロを学び、さらにルイジ・ノーノおよびハンス=ペーター・ハラーの下で作曲を学んだ〔Róża Różańska: Interview with M. Th. Vogt(ポーランド語):http://polskamuza.eu/wywiady_archiwum.php?id=563〕。グラマー・スクールを出ると、フォークトはミュンヘンミュンヘン大学)、エクス=アン=プロヴァンスパリパリ第4大学)、およびベルリン(ベルリン工科大学)で舞台芸術学、哲学、音楽学、ドイツ学を学んだ。
1983年、クラウス・ラザロヴィッツ (Klaus Lazarowicz) とズザンネ・フィル (Susanne Vill) の指導の下、ミュンヘン大学にて修士号を取得。1988年、カール・ダールハウスの下、ベルリン工科大学にて博士号を取得。修士号取得後は、ウィーン国立歌劇場ザルツブルク音楽祭ミラノ・スカラ座ヴェネツィア・ビエンナーレパリ・シャトレ座、モスクワ国立喜歌劇場 (Moscow Operetta Theatre)、ルセ国立劇場(ブルガリア)、ローマのアクアリオ・ロマーノなど、音楽界における重要な劇場や音楽祭での仕事に携わった〔。1986年から1989年にかけては、バイロイト音楽祭のプログラム冊子の編集を担当した〔„without question the most beautifully, lavishly and scrupulously produced theatrical programmes in the world." Bernard Levin, The Times, London 03.09.1988〕。
音楽家、音楽学者としての彼の関心は、現代音楽および劇場オペラ制作において音楽の果たす役割へと向かって行った。ルイジ・ノーノのオペラ《プロメテオ》、ルチアーノ・ベリオのオペラ《アスコルトの王様》(''Un Re in Ascolto'')、カールハインツ・シュトックハウゼンの連作オペラ《光》より《土曜日》の世界初演に協力している。
1983年以降、フォークトは英語ドイツ語フランス語イタリア語による教育活動を行っており、これまでにヨーロッパ、日本、アメリカの複数の大学で客員教授として講演を行った。学生のためのイベントや会議も多数企画しており、例えば自然科学分野の専門家たちと若い音楽家たちの複数回にわたる会議などが挙げられる〔Report from the Cross the Borders conference(英語):http://kulturoteka.tumblr.com/post/28903068285/cross-the-borders-raport〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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