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『マティルデ・ディ・シャブラン』()は、ロッシーニが1821年に作曲したオペラ・セミ・セリア。この作品はローマ初演作としては最後を飾るものとなっている。 *原曲名:Matilde di Shabran *台本:ヤーコポ・フェッレッティ *原作:フランソワ=ブノワ・オフマン「ウフロジーヌ、または矯正された暴君」(1790年) *演奏時間:序曲9分、第1幕2時間、第2幕1時間10分 *作曲期間:1821年2月ローマ版完成、同年11月ナポリ版完成 *ローマ版初演:1821年2月24日アポッロ劇場(ローマ) *ナポリ版初演:1821年11月11日フォンド劇場(ナポリ) == 作曲の経緯 == === ローマでの初演とトラブル === 1820年にロッシーニはナポリで「マオメット2世」の作曲に着手したが、7月に起きたカルボナリ党の暴動騒ぎが原因で9月に予定していた初演がキャンセルされると、ローマのアポッロ劇場所有者であるジョヴァンニ・トルローニアと同劇場の興行師ルイージ・ヴェストリの新作依頼を受けることとした(その結果、ナポリでの「マオメット2世」の初演は同年12月3日までずれ込んでしまった)。あらかじめナポリ在住の作家が選び取った題材としてフランス語戯曲「マティルド」が選ばれたが、それは他の作曲家が好んで取り上げた題材だった。 ロッシーニは、「マティルド」第1幕を携えローマ入りしたが、登場人物や歌手の顔ぶれが一致せず、検閲もパスしない可能性があり、これを断念。「チェネレントラ」の台本作者ヤーコポ・フェッレッティに新たな題材を求めたが、多忙を理由にフェッレッティは代わりにフランソワ=ブノワ・オフマンの「ウフロジーヌ、または矯正された暴君」を原作に「コルラディーノ」を提示した。これを下敷きにロッシーニは作曲に着手。アポッロ劇場に対しては予め「マティルデ」と告知していたために、題名を「マティルデ・ディ・シャブランまたは美女と鉄の心」を変える事とした。 しかし、ローマ入りが遅れたことや台本の変更により約束の期日までに作曲することは不可能だった。そのためアポッロ劇場は「チェネレントラ」でシーズンの幕を開け、他者の作品を先行上映して時間稼ぎをしたものの、その段階でもフェッレッティの台本は完成せず、ロッシーニは第2幕の音楽(導入曲、三重唱、二重唱の後半部)をジョヴァンニ・パチーニに委ねることとした。 全ての音楽を揃え、稽古も開始したが、2月24日の初演を前に新たな問題が起こった。稽古の日にコンサートマスター兼指揮者が卒中で倒れ、第1ホルン奏者も病気で演奏できなくなったのである。そのようなピンチを助けてくれたのはたまたまローマに滞在していたヴァイオリニストニコロ・パガニーニであった。パガニーニは代わりに指揮をする一方で、第2幕のエドアルドのアリアのホルン独奏をヴィオラ演奏で補った。しかし演奏時間3時間の大作で準備不足のために、初演の評価は観客の間で真っ二つだったとされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マティルデ・ディ・シャブラン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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