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マティルド・ド・ブローニュ : ミニ英和和英辞書
マティルド・ド・ブローニュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マティルド・ド・ブローニュ : ウィキペディア日本語版
マティルド・ド・ブローニュ[ちょうおん]

マティルド・ド・ブローニュ(Mathilde de Boulogne, 1105年? - 1152年3月3日)は、ブローニュ女伯(マティルド1世、在位:1125年 - 1151年)。イングランドスティーヴンの妃。英語名はマティルダ・オブ・ブロイン(Matilda of Boulogne)。
ブローニュ伯ウスタシュ3世の娘としてブローニュで生まれた。母マリーはスコットランドマルカム3世と王妃マーガレットの娘で、イングランド王ヘンリー1世の王妃マティルダとは姉妹であった。つまり、マティルドはモード皇后(マティルダ)の母方の従姉妹であった(夫スティーヴンはモードの父方の従兄である)。また、父方の叔父に第1回十字軍の指導者であったゴドフロワ・ド・ブイヨンおよびエルサレム王ボードゥアン1世がいる。
1125年にブロワ伯エティエンヌ2世の息子エティエンヌ、後のイングランド王スティーヴンと結婚した。前後してウスタシュ3世が死去しており、マティルドは夫と共にブローニュ伯となった。
夫との間に3男2女をもうけた。
* ボードゥアン(ボルドウィン、? - 1135年)
* マオー(? - 1135年)
* ウスタシュ4世(1130年頃 - 1153年) - ブローニュ伯
* マリー(1136年 - 1182年) - ブローニュ女伯、フランドル伯ティエリー・ダルザスの次男マチューと結婚。
* ギヨーム1世(1137年頃 - 1159年) - ブローニュ伯
スティーヴン王の治世はイングランド王位を巡ってモードとの間に内戦が続いたが(無政府時代と呼ばれる)、マティルドは夫を強力に支援した。1142年には自ら傭兵隊を率いてモードの庶兄グロスター伯ロバートを捕虜とし、前年に捕虜となっていた夫を交換で取り戻す働きもしている。
1151年、内戦の終結を見届けることなく、夫に先立って死去した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マティルド・ド・ブローニュ」の詳細全文を読む




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