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マトヴェイ・ゲデンシュトロム : ミニ英和和英辞書
マトヴェイ・ゲデンシュトロム
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マトヴェイ・ゲデンシュトロム : ウィキペディア日本語版
マトヴェイ・ゲデンシュトロム
マトヴェイ・マトヴェーヴィチ・ゲデンシュトロム(、英:Matvei Matveyevich Gedenschtrom、1780年ごろ - 1845年9月20日)は、北部シベリアで活動したロシア人の極地探検家、作家であり、官吏でもあった。
ゲデンシュトロムはタルトゥ大学で学んだが、タリン税関で働くことを選んで中退した。しかしすぐに密輸事件との関連で逮捕され、裁判の結果シベリア流刑となった。
1808年、ゲデンシュトロムはイルクーツクに到着し、割り当てられた最初の任務、つまり北極海の海岸線の探査を与えられた。ゲデンシュトロムは、必要な科学的素養を欠いていたため、与えられた位置の緯度経度の計算や、一般的な科学機材の取り扱いについて、多くのことを学ばねばならなかった。
ゲデンシュトロムは地図作成のためのノヴォシビルスク諸島の探検を実施した(ヤコフ・サンニコフと、測量士の Pyotr Pshenitsyn と I.Kozhevin が同行した)。いわゆるサンニコフ島コテリヌイ島の北のどこかに存在するという説は、まさにこの探検に端を発していた。
ゲデンシュトロムは、いわゆる"シベリア・ポリニヤ"(流氷と大陸の定着氷 (fast ice) の縁に形成される海氷の中のパッチ状の開放水面)の存在を立証した。1809年にゲデンシュトロムは、ある島の東の海岸線を訪れた。この島は3年前に商人のセミョンとレフ・スィロヴァトスキーにより発見されノヴァヤ・シビリ島(英:New Siberia、この名称は公式には1810年に与えられたものである)と命名されていた。ゲデンシュトロムは、ヤナ川コリマ川河口の間の海岸線の地図を作成した。また、彼はヤクーチア(Yakutia、現サハ共和国)とバイカル湖の東域を横断する多くの探検旅行を行なった。
1813年、ゲデンシュトロムは、イルクーツク総督府の事務局員に採用された。後に、彼はウラン・ウデの地区警察の署長に任命されているが、それでも彼は科学調査と鉱物学と植物学のコレクションの編集を放棄しなかった。ゲデンシュトロムは、賢明で、才能豊かで、教育もあり、さらに優しい男で、よく地方の小作人を助言と金銭で援助していた。その一方で、彼は不道徳な浪費家としても知られていた。彼はニコライ・トレスキン(Nikolai Treskin、当時のイルクーツク総督)の側近の一人であり、首尾よく総督府からパンの購入権限を与えられた。
1819年、ミハイル・スペランスキー(シベリア大総督)がシベリア視察の一環としてイルクーツクを訪れ、地方当局の多数の不正行為の証拠を摘発した。1820年2月20日、ゲデンシュトロムは、彼の行政上の独裁的なスタイル、横領強迫詐欺を理由に更迭された。スペランスキーの発見についての報告書は、1821年7月28日に設立された特別委員会により調査された。委員会は全ての違反者を4つのカテゴリーに分類した。ゲデンシュトロムは、3番目のカテゴリーに分類され、それは、今後2度と公職に就くことは認められないことと、ヨーロッパ・ロシア奥地への流刑を意味していた。もっとも、すぐに、彼をシベリアから移送せずトボリスクに居住させることが決まった。また、ゲデンシュトロムのスキルと経験を利用するため、西シベリアの当局は彼の公務への復帰についての許可を取りつけることに成功した。
1827年、ゲデンシュトロムは、ヨーロッパ・ロシアへの帰還を許され、そこで医療サービス部隊 の隊長として採用された。1830年代、ゲデンシュトロムは、トムスクの郵便局長に任命された。引退に伴い、彼はトムスクの近くのカイドゥコヴァヤ村に転居し、晩年はアルコール中毒の状態で過ごした。ゲデンシュトロムは、1845年9月20日に極貧の状態で65歳で死去し、3日後にトムスクで埋葬された。
==著作==

ゲデンシュトロムは、彼の科学上の発見を下記のような数冊の単行本と雑誌記事で出版している。
*「ゲデンシュトロムによるレナ川河口の東側の北極海と諸島を横断する踏査について」 ()
*「ヤナ川河口からバラノフ岬にいたる北極海の海岸線の詳細」 ()
*「シベリアについてのノート」 ()
*「シベリアについてのスケッチ」 ()
*「レナ川とコリマ川の間に存在する島々について()
*「ニュー・シベリア」 ()
*「北部シベリアで発見された未発見の動物の頭部について」 ()
*「バイカル湖において」 (), 2巻の草稿
*「シベリアの詳細に関する資料」 ()
*「シベリア」 ()



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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