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マドゥライ・ナーヤカ朝 : ミニ英和和英辞書
マドゥライ・ナーヤカ朝[まどぅらい なーやかちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

マドゥライ・ナーヤカ朝 : ウィキペディア日本語版
マドゥライ・ナーヤカ朝[まどぅらい なーやかちょう]

マドゥライ・ナーヤカ朝(マドゥライ・ナーヤカちょう、英語:Madurai Nayaka dynasty)とは、南インドタミル地方(現タミル・ナードゥ州)に存在したヒンドゥー王朝16世紀 - 1736年)。ナーヤカ朝の一つでもある。首都マドゥライティルチラーッパッリ
==歴史==

===独立===

タミル地方都市マドゥライは歴史のある地で、古くはパーンディヤ朝の首都として繁栄したが、14世紀初頭にデリー・スルタン朝に幾度となく略奪、破壊され、1334年以降はその地方長官が樹立したの首都となり、1378年ヴィジャヤナガル王国の領土となった。
16世紀頃から、マドゥライにおいて、ナーヤカ(ヴィジャヤナガル王国の領主層)としてヴィジャナガル王国に仕えていた有力な一族がみられる。
また、このナーヤカ一族はヴィジャナガル王国において、地方長官クラスの大ナーヤカであったことも知られ、ヴィシュワナータ・ナーヤカ(在位1529 - 1563)が最初の君主として記録されている。
その息子クマーラ・クリシュナッパ・ナーヤカ(在位1563 - 1573)の治世、1565年にヴィジャヤナガル王国がターリコータの戦いにおいて敗北したのち、ナーヤカ朝としての独立の動きを見せ、事実上半独立の立場をとった。
ムットゥ・ヴィーラッパ・ナーヤカ(在位1609 - 1623)の治世、1614年ヴェンカタ2世の死後、同年と1616年から1617年にかけて、ヴィジャヤナガル王国は王位をめぐる深刻な内紛が起こった。
これにより、マドゥライ・ナーヤカ朝は、衰退したヴィジャヤナガル王国から完全に独立を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マドゥライ・ナーヤカ朝」の詳細全文を読む




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