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マナサス駅作戦(マナサスえきさくせん、は、南北戦争2年目の1862年8月25日から27日に、バージニア州プリンスウィリアム郡で、北バージニア方面作戦)の一部として起きた一連の作戦行動である。マナサス駅の他、ブリストー駅、ケトルラン、ブルラン橋あるいはユニオンミルズで発生した。この作戦は、8月28日から始まった第二次ブルランの戦いの前哨戦となった。 8月26日夜、南軍のストーンウォール・ジャクソン少将が指揮する北バージニア軍左翼が、北軍ジョン・ポープ少将軍のバージニア軍右翼をサラフェア・ギャップを通って回り込み、ブリストー駅でオレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道を襲い、さらに8月27日夜明け前には、マサナス・ジャンクションにあった北軍の大規模補給所まで行軍し、占領、破壊した。この急襲によりポープ軍はラッパハノック川沿いの防衛線から慌ただしい後退を強いられた。 8月27日、ジャクソン軍はユニオンミルズ(ブルラン橋)近くで北軍の1個旅団を崩壊させ、数百の損失を出させたうえに、ジョージ・テイラー准将に致命傷を負わせた。南軍リチャード・イーウェル少将の師団は、ケトルランで北軍ジョセフ・フッカー少将の師団と活発な後衛戦を演じ、合わせて約600名の損失を出した。イーウェル隊は暗くなるまで北軍の攻撃を持ち堪えた。8月27日から28日にかけての夜に、ジャクソンはその師団を北の第一次ブルランの戦いの戦場に進軍させ、未完成の鉄道路盤の背後に陣を布かせた。 == 背景 == 1862年8月半ば、南軍の将軍ロバート・E・リーは、ジョン・ポープ少将の指揮するバージニア郡の補給線と通信線を遮断しようとしたが、8月22日から発生した第一次ラッパハノック駅の戦いのあとで、南軍の攻勢が止まっていた。この手詰まり状態を打開するために、リーはストーンウォール・ジャクソン少将の左翼にサラフェア・ギャップを通って北軍の右翼を回り込ませ、オレンジ・アンド・アレクサンドリア鉄道を遮断し、北軍の補給船を止めることとした。ジェイムズ・ロングストリート少将が指揮する南軍のもう一つの翼はラッパハノック川沿いでポープの注意を惹きつけておき、その後36時間遅れでジャクソン軍の後を追うことにした。ジャクソンは8月25日午前3時に行軍を始めた〔Hennessy, pp. 92–96.〕。 ジャクソンの動きは午前9時頃に北軍が感知したが、ポープはジャクソンがシェナンドー渓谷に向かっているものと考えた。その結果、ロングストリートの翼に注意を向けた。ロングストリート軍はその日は終日ラッパハノック川沿いで示威行動を行っていた。その日にポープが出した命令は矛盾が多く、ポープが意図したような川を渡っての攻撃を掛けることはできなかった。北軍騎兵隊がサラフェアギャップを通ってくるジャクソン軍を認知したときに、ポープはその軍を川から退かせて、ジャクソン軍に対応できるように変えた〔Hennessy, pp. 103–110.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マナサス駅作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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