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マニエリスム ( ; ; ) とはルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する言葉である。 ==概念== ミケランジェロに代表される盛期ルネサンスの成果は圧倒的であり、芸術は頂点を極め、今や完成されたと考えられた。ミケランジェロの弟子ヴァザーリはミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を高度の芸術的手法と考え、マニエラを知らない過去の作家に対して、現在の作家が優れていると説いた。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロら盛期ルネサンスの巨匠たちは古典的様式を完成させた。これをヴァザーリは普遍的な美の存在を前提とし、「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた一つの人体を作る様式」として、「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけた。1520年頃から中部イタリアでは前述の巨匠たちの様式の模倣が目的である芸術が出現し、「マニエラ」は芸術作品の主題となった。その結果盛期ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈が行われ、盛期ルネサンス様式は極端な強調、歪曲が行われるようになった。一方で古典主義には入れられなかった不合理な諸原理を表現する傾向も表れるようになった〔『バロック・ロココの絵画 : リール市美術館所蔵 : ヴェネツィア派からゴヤまで』(展覧会カタログ)東武美術館/横浜美術館、1993年、31頁。〕。 16世紀中頃からのマニエリスム期には、ミケランジェロの「マニエラ」を変形させて用いた作品が特徴的である。例えばシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」に見られるような、曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現が多用された。 しかし、17世紀のピエトロ・ベッローリ(「芸術家列伝」の著者)はミケランジェロの「マニエラ」の模倣者たちを非難し、やがて、型にはまった生気の欠けた作品という評価が支配的になった。(「マンネリズム」は蔑称となった。) 20世紀になって美術史家らから、マニエリスムも独立した表現形態であり、抽象的な表現に見るべきものがあるとして再評価されるようになった。そのきっかけとなったのが、1956年にオランダのアムステルダムにて催された『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』である〔美術検定実行委員会編『美術検定過去問題集2008』美術出版社、2008年、186頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マニエリスム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mannerism 」があります。 スポンサード リンク
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