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マニゼス()は、スペイン・バレンシア州バレンシア県のムニシピ(基礎自治体)。日本語ではカスティーリャ語読みでマニセスと表記されることが多い。クマルカ(郡)としては、「西部の灌漑農地」の意味を持つの構成自治体のひとつである。2014年の人口は30,834人である〔List of population units スペイン国立統計局(INE)〕。自治体内にはバレンシア空港が所在する。陶器産業は古い歴史を持ち、として知られている。 == 歴史 == 近隣のパテルナには新石器時代と青銅器時代に遡る遺跡がある。今日のマニゼスがある地域には古代ローマ人が居住していたことを示す記録が残っており、自治体内には古代ローマ時代に建設された水道橋跡がある。この地の古代ローマ人はバレンシアの町に水を運ぶ労働を行っていたが、やがてアラブ人がやってきて集落を築いた。8世紀初頭にイスラーム教徒のウマイヤ朝がイベリア半島を征服し、灌漑農業などがもたらされた。その後数百年間は後ウマイヤ朝やタイファ諸王朝が支配した。 1238年にはアラゴン王ジャウマ1世がイスラーム教徒を破ってバレンシア地方を征服した。この年にはジャウマ1世がアルタル・デ・ルナにイスラーム農場を寄贈し、さらにアルタル・デ・ルナに「Rich-homs of nature」という称号を与えている。1307年には農場がペレ・ブイルに売却され、ブイル家(ボイル家)が領主を務めるマニゼス領の中心となった。17世紀初頭にはキリスト教徒とモリスコ(カトリックに改宗したイスラーム教徒)が混住しており、1602年から1609年にはキリスト教徒の家が150軒、モリスコの家が50軒存在したが、1609年にはバレンシア地方でモリスコ追放が行われた。 マニゼスのタイル、特に紋章型のタイルは16世紀初頭に商業的な成功をおさめ、17世紀にはバレンシア地方のタイル製造量が大幅に増加した。20世紀初頭には陶器に組み込まれた装飾の要素を持つ新たなスタイルがもたらされた。その後、タイルがフローリングや基礎に使用されるようになり、多色のタイルで建物のファサードを装飾する傾向は今日まで続いている。 マニゼスの教区教会は洗礼者ヨハネに捧げられている。今日の教会は1734年に建設が始まり、バロック様式の痕跡を持つ新古典主義で建設され、1751年に完成した。これによって、の礼拝堂を持つ旧教会は礼拝が放棄され、1817年に取り壊しが開始された。新教会はラテン十字型であり、単一の身廊、外部に釉薬が塗られた巨大なビザンティン様式のドームを持つ。1951年にはバロック様式の祭壇画が据えられた。 1914年にはマニゼス陶芸専門学校が開校し、1924年にマニゼスは「市」の称号を得た。1969年にはが開館し、1985年にはマニゼス陶芸専門学校がバレンシア州立芸術教育インスティテュート(ISEACV)に統合された。2009年4月には、マニゼスからトゥリア川を渡ってパテルナに向かうことができる橋が完成した。2009年5月1日にはマニゼス病院が開業し、マニゼス周辺に居住する人口約15万人の地域を対象としている。マニゼス病院は1人部屋220室と手術室10室を持ち、保健省とバレンシア州議会が共同で建設・管理する公立病院である。トゥリア川に面した市域の西端にはバレンシア水処理場があり、自治体内には堰や洞窟も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マニゼス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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