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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マヌエル・アルトゥロ・マチャド(Manuel Arturo "Manny" Machado, 1992年7月6日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身のMLB・ボルチモア・オリオールズに所属する内野手。右投げ右打ち。 == 経歴 == 2010年のMLBドラフトではブライス・ハーパーに次ぐナンバー2の野手とされ、ボルティモア・オリオールズから1巡目(全体3位)で指名される。スコット・ボラスが代理人を努め、契約には525万ドルを要した。 はオールスター・フューチャーズゲームに出場。8月9日のロイヤルズ戦でメジャーデビューを果たした。超大物ルーキーの登場に対し、ファンはスタンディング・オーベーションを送った。初打席は遊ゴロに倒れたが、第二打席で三塁打を放った。翌日にはルーク・ホッチェバーからメジャー初本塁打を含む2本塁打を放った。 は開幕から2番サードとしてスターティングメンバーに定着。オールスターまでのシーズン前半の96試合で39本の二塁打を放ち、アール・ウェッブの樹立したシーズン67二塁打を更新すると期待されたが、最終的には51本に終わり記録更新は成らなかった。更に前半戦では打率.310、7本、45打点等の成績を残し、この年のオールスターゲームに初めて選出された。その後も全試合に出場していたが、9月23日のタンパベイ・レイズ戦、7回表の打席において1塁ベースを駆け抜けた際に左膝靭帯を損傷、そのまま担架に乗せられ退場する事態となった。10月14日、内側膝蓋大腿靱帯の再建手術が成功裡に行われ、復帰までには半年ほどが見込まれていることが発表された。この年は三塁手として守備率.973、355補殺、42併殺、レンジファクター3.02などでリーグ最高の数字を残し、初のゴールドグラブ賞を受賞した。また、プラチナ・ゴールド・グラブも受賞している。 3月11日にオリオールズと51万9000ドルの1年契約に合意した。6月8日のアスレチックス戦でアスレチックスの選手にめがけてバットを投げ、乱闘騒ぎとなり退場処分を受け、MLBより5試合の出場停止と罰金の処分を受けた〔バット投げ男に5試合出場停止処分 スポーツニッポン〕。8月11日の試合でショートゴロを打った際に右膝を痛め、同13日に故障者リストに入れられた。同27日に受けた手術が成功し、2015年シーズンのスプリングトレーニングでの復帰の見込みとなった。 故障からの復帰をかけて臨んだシーズンは、レギュラーシーズンの全162試合にフル出場し、ア・リーグ最多となる713回打席に入った。バッティング面では、自己最高の打率.286・35本塁打 (リーグ10位) ・こちらも自己最多の86打点という好成績をマーク。他にはオール・スターの一員に選出されて打点をマークした〔July 14, 2015 All-Star Game Play-By-Play and Box Score - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年10月6日閲覧。〕ほか、得点・盗塁・OPS・四球等の数多くの部門で自己最高の成績を残し、一気に才能を目覚めさせた。打撃面で覚醒した一方、守備面でも19失策こそ自己ワーストながらDRS + 14、UZR + 8.4をマークし、健在ぶりを示した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マニー・マチャド」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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