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マヌエル・プイグ : ウィキペディア日本語版
マヌエル・プイグ

マヌエル・プイグManuel Puig1932年12月28日-1990年7月22日)はアルゼンチンの作家。主な作品に『リタ・ヘイワースの背信』『赤い唇』『ブエノスアイレス事件』『蜘蛛女のキス』『このページを読む者に永遠の呪いあれ』など。
==経歴==
ブエノスアイレス州ヘネラル・ビジェーガスで生まれる。5歳のころから映画館通いをする少年で、グレタ・ガルボリタ・ヘイワースなどのハリウッドスターに憧れる少年時代を過ごす。1945年、首都ブエノスアイレス寄宿学校で学び、大学では外国語、哲学の学習に励んだ。1956年奨学金を得てイタリアへ留学。ローマチネチッタ映画監督脚本家をめざし、ヴィットリオ・デ・シーカルネ・クレマンの元で助監督を務めたが挫折し、小説家に転じる。
1963年ブロードウェイミュージカルを学ぶためにニューヨークに渡り、処女長篇『リタ・ヘイワースの背信』を書きあげる。「ポップアート初の文学的成果」として、同書が一躍脚光を浴び、帰国後発表した『赤い唇』(1969年)『ブエノスアイレス事件』(1973年)がベストセラーとなる。
1973年フアン・ペロン復権によるコーポラティズム体制化により亡命を余儀なくされ、アメリカメキシコブラジル等を転々としつつ、『蜘蛛女のキス』(1976年)、『天使の恥部』(1979年)、『このページを読む者に永遠の呪いあれ』(1980年)、『南国に日は落ちて』(1988年)などの作品を次々と発表。1990年来日後、メキシコクエルナバカエイズにより亡くなる。
巧みなストーリーテリングと現代的な主題で、ラテンアメリカ圏で幅広い人気を持つ作家である。登場人物の対話や独白、日記、手紙などのをコラージュする映像的手法、映画歌謡曲などのサブカルチャーを洗練された形で取り入れる手法が特徴である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マヌエル・プイグ」の詳細全文を読む




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