翻訳と辞書
Words near each other
・ マメ科雑草
・ マメ群
・ マメ部
・ マメ電池
・ マメ類
・ マモイアーダ
・ マモノ (バンド)
・ マモノミカドヤモリ
・ マモノヴォ
・ マモル
マモル・マヌー
・ マモル・モリシタ
・ マモレ!絶滅ニンゲン
・ マモレ川
・ マモン
・ マモン (曖昧さ回避)
・ マモン (植物)
・ マモンツキテンジクザメ
・ マモントフ
・ マモ・ウォルデ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マモル・マヌー : ミニ英和和英辞書
マモル・マヌー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マモル・マヌー : ウィキペディア日本語版
マモル・マヌー[ちょうおん]

マモル・マヌー(Mamoru Manu、1949年6月3日 - )は、ドラマーボーカリスト。本名は三枝 守(さえぐさ まもる)。山口県出身、横浜育ち。
== 経歴 ==
1949年6月3日、山口県で誕生し、すぐに横浜に移る。
子供の頃から米軍キャンプに出入りし、バンドのボーカリストとして活動を始める。
デイヴ平尾の誘いにより、「平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)」を結成、1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー。3枚目のシングル「長い髪の少女」で初めてソロ・パートを担当して以降、その凛々しく甘いルックスでアイドル的な人気を博し、ゴールデン・カップスの活動を支えた。
1969年12月31日を以ってゴールデン・カップスを脱退。かねてから作曲家・鈴木邦彦に熱望され、1970年9月、ソロ・シンガーとして「雨の街」でデビュー。その後は三枝マモル、ゆうき剛名義でシングルを9枚とアルバムを2枚発売するものの成功へは至らなかった。
1975年以降は宝石鑑定師の資格を取得しサンフランシスコ蒲田で宝石に携わる仕事を続けていた。
1988年ミッキー吉野、デイヴ平尾、アイ高野らと共に、「タイガース・メモリアル・クラブバンド」に参加。
2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。主にボーカルを担当し、音楽番組への出演やライブハウスでの活動を続け、現在に至る。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マモル・マヌー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.