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マヤリノ・ビドラク条約 : ミニ英和和英辞書
マヤリノ・ビドラク条約[やく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

マヤリノ・ビドラク条約 ( リダイレクト:マヤリノ=ビドラク条約 ) : ウィキペディア日本語版
マヤリノ=ビドラク条約[まやりのびどらくじょうやく]

マヤリノ=ビドラク条約(、)は、1846年12月12日ヌエバ・グラナダ共和国コロンビア)とアメリカ合衆国との間で調印された条約。アメリカ合衆国がイギリスなどのヨーロッパ勢力に対抗しつつ西部開拓に向けての輸送ルートを確保するため、ヌエバ・グラナダ共和国(コロンビア)から現在のパナマ共和国地帯パナマ地峡でのアメリカ合衆国の通行権と通商の承認を受ける条約として調印された。これは後にパナマ地峡鉄道パナマ運河の建設に一役を買ったが、ヌエバ・グラナダ共和国(コロンビア)からのパナマ共和国分離独立につながる一因ともなった。
==歴史==

===時代背景===
1492年クリストファー・コロンブスアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパが更に西への航路を模索するなか1513年、探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが太平洋を発見。それに伴いパナマ地峡での鉄道と運河建設の機運が高まった。1588年7月、スペインの無敵艦隊がイギリスに敗れカリブ海域でのスペインの制海権が失われると代わってイギリスがこの海域で勢力を拡大。その後もヨーロッパの植民地争いの場と化していたアメリカ大陸は1775年アメリカ独立戦争を経て、1823年にアメリカ大統領ジェームズ・モンローの外交原則モンロー主義によりアメリカ大陸でのヨーロッパの影響力の排除に成功した。
またこの時アメリカ合衆国は西部開拓時代を迎え安全に西へ物資を輸送できる輸送ルートを確保するため、当時パナマの地を統治していたヌエバ・グラナダ共和国(コロンビア)との交渉を開始し、条約締結に向けて動き出した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マヤリノ=ビドラク条約」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mallarino-Bidlack Treaty 」があります。




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