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マラウイの政治(まらういのせいじ)は、間接民主制による共和政治で執り行われている。また、大統領制が導入されており、マラウイの大統領は元首と政府の長および党の代表者を兼ねた地位となっている。行政権を行使するのは内閣であり、立法権は内閣と国民議会(国会)が有するほか、司法権は立法および行政から独立している。 マラウイの政界に多党制民主主義が導入されたのは1994年であり、現在も多党制政治が行われている〔外務省 マラウイ共和国 基礎情報 〕。 == 概要 == マラウイは19世紀末からイギリスの保護領下に置かれ、ニヤサランド保護領と呼ばれていた。保護領下では白人入植者の権限が極めて強く、先住民族の参政権などを含む諸権利は強く制限されていた。第二次世界大戦後、アフリカ諸国では独立の気運が高まり、1957年にサハラ以南のブラックアフリカの独立国家第一号としてガーナが誕生したのを初めとして、1960年にアフリカの年と呼ばれる17カ国もの国家が独立を迎えた〔中谷 臣、『センター世界史B各駅停車』、173-174ページ、パレード、2006年3月15日〕。ローデシア・ニヤサランド連邦内でも1950年代後半には黒人による反乱が発生しており、イギリスによる連邦政府の維持が既に困難な状態となっていた。 そのような状況の中、マラウイがイギリス保護領から独立するきっかけの1つとなったものに、1961年の選挙におけるマラウイ会議党の大勝がある。この選挙においてマラウイ会議党は53議席中の50議席、白人指定の3議席を除いた全議席を獲得したのであった〔AFRICAN ELECTIONS DATABASE 1961 Legislative Council Election 〕。その結果、1962年に自治権を獲得し、翌1963年にはマラウイ会議党の指導者であったヘイスティングズ・カムズ・バンダが首相へ就任、1964年には英連邦王国の一員として独立に至り、1966年にはマラウイ共和国が成立、バンダは大統領へと就任する〔。 しかし、1964年の選挙は全ての候補者がマラウイ会議党であったため、実際の投票は行われなかった〔AFRICAN ELECTIONS DATABASE 1964 National Assembly Election 〕〔IDE-JETRO アフリカ諸国の「民主化」再考 -共同研究会中間報告 〕。その後バンダは、1966年に憲法によってマラウイ会議党以外の政党は非合法とし、一党制体制を確立〔。1970年には国会においてバンダを"終身大統領"とすることが議決された。そして、選挙の候補者はバンダが決定を行い、対立候補の無い信任投票か、あるいは無投票で当選した。さらに、1983年以降は事実上党で第2の地位である幹事長を空席とし、さらなる権力の集中を図っていた〔。 1991年に入り、南アフリカ共和国大統領であったフレデリック・ウィレム・デクラークがアパルトヘイトを法的に廃止したことを受け、バンダの独裁政治に対する国内外からの批判が高まってきた〔。そのためバンダは、1993年に一党制の維持か多党制の導入かをめぐって国民投票で是非を問うことを決定。投票の結果、有権者のおよそ3分の2が多党制導入に賛成したため、翌1994年から多党制が導入されることが決定された〔AFRICAN ELECTIONS DATABASE 14 June 1993 Referendum 〕。1994年に行われたマラウイ初の多党制選挙では、統一民主戦線のバキリ・ムルジが勝利し、1964年以来の30年以上にわたるバンダの独裁は終わりをむかえた〔AFRICAN ELECTIONS DATABASE 1994 Presidential Election 〕。 その後、1999年の選挙でもムルジは再選され、任期が2004年までの第2期目を務めた〔。なお、2002年には憲法の大統領の3選禁止規定を改正しようとしたが、国民からの反発をうけて失敗に終わっている。2004年の選挙にはムルジの後継者であったビング・ワ・ムタリカが当選したが、ムタリカはムルジおよび所属党の統一民主戦線と対立、民主進歩党を起こして少数与党として苦しい政策展開を行うこととなった。なお、2009年の選挙ではムタリカが圧勝、民主進歩党も単独過半数を獲得し、安定政権となった〔"Malawi vote gives president control" , Sapa-AP (''IOL''), 25 May 2009.〕。 なお、アメリカのNGOであるフリーダム・ハウスが発表する「世界の自由度2009」において、マラウイは政治的自由と市民的自由の双方で4の評価を得ている。この評価は1から7の7段階評価で行われ、1に近いほど高い評価とされる〔Freedom House Malawi (2009) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マラウイの政治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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