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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
マリウス(マリアス)・ビゼール(Marius L. Vizer 1958年1月1日- )は、ルーマニアのビホル県・オラデア出身の国際柔道連盟会長(2007-)、元ヨーロッパ柔道連盟会長(2002-2007)。 == 来歴 == *軍隊に所属しながら柔道に取り組み、1982年から1995年まではコーチとして活躍する〔Marius Vizer- President, IJF 〕。 *1988年、ハンガリーに亡命後、1989年にオーストリアへ。〔〕 *その後ハンガリーに根城を構えて事業で成功すると、家族の住むオーストリア国籍を取得する〔Marius Vizer, nuovo presidente IJF 〕。 *2002年、ヨーロッパ柔道連盟の会長に就任。 *2005年、国際柔道連盟会長選挙に立候補したが朴容晟会長(当時現職)に100対85で落選した。スポーツ仲裁裁判所に不服を申し立てるも敗訴となった。 *2007年5月、勢力拡大のためアジア柔道連盟の会長選挙でクウェートのオベイド氏を推し、オベイド氏は日本の佐藤宣践氏を破って当選する。 *2007年9月、国際柔道連盟リオデジャネイロ総会前に朴会長が辞任したため会長代行に就任した。 *2007年9月、同総会にて会長に就任(前会長の残任期間2年+4年)。さらに教育・コーチング理事選挙では再選を目指した日本の山下泰裕氏に対してアルジェリアのモハメド・メリジャ氏を推す。123対61でメリジャ氏が当選し選挙後、日本の上村春樹氏を指命理事に決定した(ただし議決権無し)。 *2013年5月31日にロシアのサンクトペテルブルクでスポーツアコード国際会議が開催されて、スポーツアコード会長に立候補していたビゼール会長が当選を果たすことになった。ビゼール会長は、マーケティングとメディア戦略を統合して財源を増やす狙いから、2017年度を目処にスポーツアコードに加盟する91の国際競技団体の世界選手権を一堂に会した「合同世界選手権」開催の構想を明らかにした。しかし、IOCのジャック・ロゲ会長は大会の実現に懐疑的な態度を示した〔 時事通信 2013年5月31日〕。 *2013年8月23日にリオデジャネイロで開催されたIJF総会において、満場一致で会長に再任された〔President Mr. Vizer re-elected in Rio 〕。 *2015年4月にロシアのソチで開催されたスポーツアコード総会で、2期目の会長当選を果たしたばかりのビゼール会長は、IOCのトーマス・バッハ会長が推進する中長期改革「五輪アジェンダ2020」に対して、「国際競技連盟(IF)の利権が適切に扱われていない。スポーツ界に利益をもたらさない」「IFのために多くの提案をしたが、好意的な反応はなかった。全ての団体に公平に対応してほしい」「時代遅れで不公平だ」と、あからさまな批判を行った。さらには、オリンピック開催都市が競技種目の追加を提案できる権利を認めたことは「オリンピックを不安定にしている」行為だとして、IOCとの対決姿勢を鮮明に打ち出した。これに対してバッハ会長は、「五輪改革は長期間、対話を重ねて進めている」との見解を示した。なお、ビゼール会長の発言はスポーツアコード加盟団体に大きな反発を呼び起こすことにもなった。国際サッカー連盟(FIFA)や国際水泳連盟(FINA)など10を超える加盟団体は、ビゼール会長に対する抗議文書を提出した。国際陸上競技連盟(IAAF)や国際射撃連盟(ISSF)、世界レスリング連合(UWW)などはスポーツアコードを脱退する方針を表明した。国際パラリンピック委員会(IPC)も脱退を決めた。オリンピック夏季大会競技団体連合(ASOIF)や国際ボクシング連盟(AIBA)もスポーツアコードとの関係を一時停止することになった〔 産経新聞 2015年4月21日〕〔 産経新聞 2015年4月21日〕〔 産経新聞 2015年4月22日〕〔 産経新聞 2015年5月7日〕。このように多大な反発を受けたことに対してビゼール会長は、IOCを批判した際の手法やマナーを謝罪したものの、「自分の声は自分の意見でもある。スポーツ界は誰でも自由に表現できる場所だ」と、自身の見解は依然堅持することとなった〔 産経新聞 2015年4月23日〕。なお、ビゼール会長は事態打開のためにバッハ会長に会談を申し入れたが、バッハ会長側は態度を保留した〔 産経新聞 2015年5月20日〕〔 産経新聞 2015年5月20日〕〔 産経新聞 2015年5月20日〕。ビゼールは会談に向けて、オリンピックにおける実施競技の追加やIOC委員の選考に関する明確な基準を要望した。また独自の改革案として、オリンピックに賞金制度を導入することや、全ての非オリンピック競技をオリンピックが開催される前後に公開競技として実施すること、さらには、国際競技連盟(IF)への分配金を増額することや選手を支援する基金の設立など20項目の議題を提案した〔 産経新聞 2015年5月22日〕。しかしながら、ビゼール会長が務めるIJFを除く夏季オリンピックの全競技団体がスポーツアコードからの脱退や関係停止を表明したことや、2017年のスポーツアコードワールドコンバットゲームズを開催する予定だったペルーが辞退したことなどを受けて、5月31日にビゼール会長はスポーツアコード会長を辞任することを表明した。また、2020年の東京オリンピックの準備状況を監督するIOCの調整委員も辞任した。ビゼール会長は辞任に際して「会長を務めていたこの2年ほどの間、IOCに対して多数の共同作業の提案を試みるも、にべなく拒否され続けてきた」とした上で、「私の提案は正しく、スポーツの価値を守るものだと思っています」と改めて強調した〔 産経新聞 2015年6月1日〕〔 時事通信 2015年6月1日〕〔resigns as President of SportAccord 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリウス・ビゼール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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