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マリア・シュターダー : ミニ英和和英辞書
マリア・シュターダー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・シュターダー : ウィキペディア日本語版
マリア・シュターダー[ちょうおん]
マリア・シュターダー(Maria Stader, 1911年11月5日 - 1999年4月27日〕〔〕は、オーストリア=ハンガリー帝国出身のソプラノ歌手。
オーストリア=ハンガリー帝国領ブダペストでマリア・モルナール(Maria Molnar)として生まれる。第一次世界大戦の影響でモルナール家の家計の逼迫により、救世軍の手で1919年にスイスに連れてこられた。ザンクト・ガレンのマチルデ・ベルロッハーの下で声楽を学び、1930年からコンスタンツでベルロッハーの父であるハンス・ケラーの薫陶を受けた。1935年からチューリヒでイローナ・ドリゴに師事し、1938年にはトレメッツォでテレーゼ・シュナーベル=ベーア、ミラノでジャンニーナ・アランギ・ロンバルディの指導を受けている。1939年にジュネーヴ国際音楽コンクールに出場して声楽部門でフリッツ・オレンドルフと一位を分け合った。体が小さかったため、歌劇場での活動を控え、主にリサイタルで名声を築き、ドイツ・リートに加えてオトマール・シェックをはじめとするスイスの作曲家の歌曲をレパートリーに加えて活躍した〔ただし、オペラ録音には参加している〕。
1950年にはザルツブルクからリリー・レーマン・メダル、1956年にはモーツァルテウム音楽院から銀のモーツァルト・メダル、1962年にはチューリヒ市からハンス・ゲオルク・ネーゲリ・メダルをそれぞれ贈られている。1964年にはオーストリア政府から芸術功労勲章を受勲。
1969年に歌手活動から引退し、以後はチューリヒで後進の指導に専念した。
チューリヒにて没。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・シュターダー」の詳細全文を読む




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