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マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ : ミニ英和和英辞書
マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ : ウィキペディア日本語版
マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン・イ・アブスブルゴ=ロレナ[ぶる]

マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボン・イ・アブスブルゴ=ロレーナスペイン語María de las Mercedes Isabel Teresa Cristina Alfonsa Jacinta Ana Josefa Francisca Carolina Fernanda Filomena María de Todos los Santos de Borbón y Habsburgo-Lorena, 1880年9月14日 - 1904年10月17日)は、スペインの王女(インファンタ)、アストゥリアス女公
スペイン王アルフォンソ12世と王妃マリア・クリスティーナの長女としてマドリード王宮で誕生し、生まれてすぐ王位継承第1位の者に与えられるアストゥリアス公を授けられた。名前は、父王の最初の妃でわずか18歳で急逝したマリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンスにちなむ。母マリア・クリスティナが第3子を懐妊中、父アルフォンソ12世が肺結核で急死した。生まれたのは男児で、誕生後ただちにアルフォンソ13世として即位したが、マリアはアストゥリアス公のままであった(アルフォンソ13世に当然ながら子がなく、王位継承第1位であったため)。
1901年両シチリア王家出身のカルロ・タンクレーディ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(最後の国王フランチェスコ2世の甥)と結婚した。2人は3子をもうけた。
*アルフォンソ・マリア(1901年 - 1964年)
*フェルナンド(1903年 - 1905年)
*イサベル・アルフォンサ(1904年 - 1985年) - ヤン・ザモイスキ伯と結婚
マリアは末子イザベッラを出産後、急死した。アルフォンソ13世はまだ独身であったため、マリアの長男アルフォンソ・マリアをアストゥリアス公とした(1907年にアルフォンソ13世の長男アルフォンソが誕生するまで)。
なお、夫カルロ・タンクレーディは、2度目の妻ルイーズ・ドルレアンとの間の次女にマリア・デ・ラス・メルセデスの名を付けている(スペインの前国王フアン・カルロス1世の母である)。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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