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マリア・ホセファ・カルメラ・デ・ボルボン・イ・サホーニャ(María Josefa Carmela de Borbón y Sajonia, Infanta de España, 1744年7月6日 ガエータ - 1801年12月8日 マドリード)は、スペインの王女。カルロス3世の娘、カルロス4世の姉で、生涯独身を通した。 カルロス3世(当時はナポリ・シチリア王)とその妻でポーランド王・ザクセン選帝侯アウグスト3世の娘であるマリア・アマーリアの間の第4子、四女として生まれた。名前は父方の祖母のザクセン選帝侯夫人マリア・ヨーゼファの洗礼名を受け継いでいる。父が統治していたナポリ王国の宮廷で生まれ育ち、1759年に父のスペイン王位継承に伴ってスペイン宮廷に移った。 3人の姉たちは皆夭折したため、王家の第一王女であったが、縁談に恵まれず、1764年には妹マリア・ルイサが彼女を追い越してトスカーナ大公レオポルトに嫁いだ。1768年、男やもめとなったフランス王ルイ15世の後妻となる縁談が持ち上がったが、結局実現しなかった。 マリア・ホセファは父王の死後も弟カルロス4世の宮廷に残った。カルメル会に所属するマドリードの聖テレサ女子修道院に資金援助を行い、死後、同修道院に葬ってもらう約束を取り付けた。1877年、王女の遺骸は聖テレサ修道院からエル・エスコリアル修道院の王子廟に移された。 == 参考文献 == * Mississippi Commission For international Cultural Exchange. ''The Majesty of Spain: Royal Collections from The Museo del Prado & The Patrimonio Nacional''. Mississippi Commission For international Cultural Exchange Inc, 2001. 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリア・ホセファ・デ・ボルボン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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