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マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン : ミニ英和和英辞書
マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン : ウィキペディア日本語版
マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン[ちょうおん]

マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン(Maria Josepha Antonia Walburga Felizitas Regula von Bayern, 1739年5月30日 - 1767年5月28日)は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の2度目の妃、皇后。
皇帝カール7世バイエルン選帝侯カール・アルブレヒト)と皇后マリア・アマーリエの末子として、ミュンヘンで生まれた。
1765年1月、シェーンブルン宮殿で又従弟に当たるローマ王ヨーゼフと結婚した。その7ヶ月後に舅フランツ1世が崩御したため、夫とともに戴冠し、皇后となった(実権はヨーゼフの母マリア・テレジアウィーンの宮廷で掌握していた)。美男の夫を熱愛していたマリア・ヨーゼファだったが、ヨーゼフは最初の妻で美女だったイザベラを終生愛し続け、彼女には目もくれなかったため、結婚生活は不幸だった。肖像画からは想像できないが、ヨーゼフ2世は彼女のことを「背が低く太っている。歯並びはゾッとするほどで、全身が吹き出物でいっぱいだ」と記している。
マリア・ヨーゼファは天然痘に罹患し、1767年5月に急逝した。亡骸はカプツィーナー霊廟に葬られた。ヨーゼフは再婚しないと宣言し、それを実行した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン」の詳細全文を読む




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