翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・ヤコベア・フォン・バーデン
・ マリア・ユージナ
・ マリア・ユーディナ
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1699-1757)
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1751-1767)
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・ザクセン
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・ハラハ
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン
・ マリア・ヨーゼファ・フォン・ポルトゥガル
マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン
・ マリア・ヨーゼファ・ヘルメンギルデ・フォン・リヒテンシュタイン
・ マリア・ライター
・ マリア・ライヒェ
・ マリア・ライヘ
・ マリア・ラスカリナ
・ マリア・ラスニック
・ マリア・ラドナー
・ マリア・ラーク
・ マリア・リクトラス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン : ミニ英和和英辞書
マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン[てん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten

マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン : ウィキペディア日本語版
マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン[てん]

マリア・ヨーゼファ・ヘルメンギルデ・フォン・ウント・ツー・リヒテンシュタインMaria Josepha Hermengilde von und zu Liechtenstein, 1768年4月13日 ウィーン - 1845年8月8日 ヒュッテルドルフ)は、リヒテンシュタイン家の侯女で、ハンガリー貴族のエステルハージ・デ・ガランタニコラウス(2世)の妻。
リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ1世とその妻のシュテルンベルク伯爵夫人レオポルディーネ(1733年 - 1809年)の間の末娘として生まれた。1783年9月15日にウィーンにおいて、エステルハージ家の嗣子であるニコラウス(2世)と結婚した。夫は1809年のヴァグラムの戦いの直後、フランス皇帝ナポレオン1世からハンガリー王位に就くよう打診されたが、ハプスブルク家に対する忠誠を守ってこの申し出を拒否した。
マリア・ヨーゼファ・ヘルメンギルデは夫とともに文芸の庇護者として知られ、特に作曲家ヨーゼフ・ハイドンのパトロンとして有名だった。侯妃は1796年から1802年にかけての6年間、ハイドンに自分の聖名祝日(9月8日の聖母誕生祭)のためのミサ曲を毎年1曲ずつ作らせた。ミサ曲第7番/戦時のミサ(Missa in tempore belli 1796年)、第8番/オフィダの聖ベルナルトの讃美のミサ(Heiligmesse 1796年)、第9番/ネルソン・ミサ(Missa in angustiis 1797年)、第10番/テレジア・ミサ(Theresienmesse 1798年)、第11番/天地創造のミサ(Schöpfungsmesse 1801年)、第12番/ハルモニー・ミサ(Harmoniemesse 1802年)の6曲である。
== 子女 ==

*パウル(3世)・アントン(1786年 - 1866年) - エステルハージ・デ・ガランタ侯
*マリア・レオポルディーナ(1788年 - 1846年) - 1806年、リヒテンシュタイン侯子モーリッツ(Moritz von Liechtenstein)と結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・ヨーゼファ・フォン・リヒテンシュタイン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.