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マリウス・シュデク : ウィキペディア日本語版
マリウス・シュデク

マリウス・シュデク(、1972年4月29日 - )は、ポーランド出身の男性フィギュアスケート選手で現在はフィギュアスケートコーチ兼審判員。1999年世界フィギュアスケート選手権銅メダリスト。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピック、2006年トリノオリンピックペアポーランド代表。パートナーは妻でもあるドロタ・シュデク
== 経歴 ==
オシフィエンチムに生まれ、6歳のときにスケートを始め、当初シングルスケーターとして活動を開始する。17歳のときよりペアペアスケーターに転向し、ベアタ・スジムロスカらと組み1989年から世界ジュニア選手権に出場、1991-1992年シーズンからはシニアクラスの欧州選手権世界選手権にも出場したが、入賞することもなかった。
1994年、ドロタ・ザゴルスカとペアを結成。1995-1996年シーズンよりISUグランプリシリーズに参戦を果たした。長野オリンピックを控えた1997-1998年シーズンにはオンドレイネペラメモリアルで優勝を果たす。長野オリンピックでは10位に終わったものの、1998年世界選手権では5位入賞を果たした。翌1998-1999年シーズン、ISUグランプリシリーズでは精彩を欠いたものの、1999年欧州選手権で2位、1999年世界選手権では3位となり、ポーランドに世界選手権初のメダルをもたらした。
1999-2000年シーズン、NHK杯ラリック杯でISUグランプリシリーズ初表彰台の3位となり、2000年欧州選手権では2年連続の2位となったが、2000年世界選手権では5位入賞に留まった。これ以後、世界選手権では表彰台から遠ざかることになる。2000年5月13日、パートナーでもあるマリウス・シュデクと結婚。2度目のオリンピックとなった2002年ソルトレイクシティオリンピックでは7位に終わった。
2004年欧州選手権で3位となり、4年ぶりにメダルを獲得。3度目のオリンピックとなった2006年トリノオリンピックでは9位に沈んだ。
パートナーであり妻でもあるドロタは、登録名として結婚後も旧姓のザゴルスカを使用していたが、2006-2007年シーズンでの引退を決意しマリウスの姓であるシュデクで大会に出場。2007年欧州選手権で3年ぶりの3位となり、迎えた2007年世界選手権では、マリウス・シュデク自身のケガによりフリースケーティングを棄権。同シーズン終了後に引退した。引退後は夫婦揃ってコーチに転進、またフィギュアスケート技術審判員としても活動している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリウス・シュデク」の詳細全文を読む




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