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マリウシュ・フィルステンベルク(Mariusz Fyrstenberg, 1980年7月8日 - )は、ポーランド・ワルシャワ出身の男子プロテニス選手。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、同じポーランドのマルチン・マトコフスキとペアを組んで活動している。彼は普段からシングルスにはほとんど出場せず、マトコフスキとのダブルスのみに活動を絞っている。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで16勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス317位、ダブルス6位。身長190cm、体重80kg、左利きの選手。赤土のクレーコートを最も得意にする。 == 来歴 == フィルステンベルクは7歳からテニスを始めたが、その2年後にポーランドの共産主義が崩壊した。1999年8月に初めてポーランド国内開催のチャレンジャー大会に参加し、最初期からダブルスの分野で才能を発揮し始める。2001年からプロテニス選手となり、直ちに男子テニス国別対抗戦・デビスカップのポーランド代表選手に選ばれた。最初はいろいろな選手とのコンビネーションを試していたが、2002年夏ごろからほとんどの試合でマルチン・マトコフスキとペアを組むようになった。2003年7月末、故国ポーランドのソポト大会のダブルスでマトコフスキと組んでツアー初優勝を果たす。2004年アテネ五輪のポーランド代表選手に選ばれたフィルステンベルクとマトコフスキは、男子ダブルス1回戦でスイス代表のイブ・アレグロ&ロジャー・フェデラー組に 3-6, 2-6 で敗退した。 フィルステンベルクとマトコフスキは、2006年全豪オープンで初めての4大大会ベスト4に進出した。準決勝でマルティン・ダム(チェコ)&リーンダー・パエス(インド)組に 2-6, 4-6 のストレートで敗れた。これで勢いづいた2人は、年間最終ランキング上位8組しか出場資格を得られない、男子ツアー年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」ダブルスにも初めて出場資格を得た。ポーランド人どうしのペアとしては史上初の快挙となった年間最終戦の舞台で、2人は予選ラウンド・ロビン(出場8組を2つのグループに分け、各グループの4組が総当たり戦を行う)で3戦全敗に終わった。 2007年、フィルステンベルクとマトコフスキは男子ツアー大会のダブルスで年間2勝を挙げたが、テニス・マスターズ・カップには出場できなかった。2008年は北京五輪で2度目のオリンピックに出場し、2年ぶり2度目のテニス・マスターズ・カップ出場資格も獲得して、予選ラウンド・ロビンで2勝を挙げた。こうして2人は初めてのマスターズ・カップ準決勝に進み、ボブとマイク(アメリカ、双子の兄弟のペア)に 4-6, 4-6 で敗れた。 2011年全米オープンで4大大会のダブルスで初めて決勝に進出した。決勝ではユルゲン・メルツァー&フィリップ・ペッシュナー組に 2–6, 2–6 で敗れ準優勝となった。最終戦のATPワールドツアー・ファイナルでも決勝に進出しマックス・ミルヌイ&ダニエル・ネスター組に 5–7, 3–6 で敗れた。 フィルステンベルクとマトコフスキのコンビは、デビスカップのポーランド代表選手として「ベスト・ダブルス・チーム」(同一ペアのダブルス勝利数歴代1位)になった。 フィルステンベルクは普段からシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスには1度も出場記録がない。ATPツアーでのシングルス通算成績は、わずか5勝8敗である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリウシュ・フィルステンベルク」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mariusz Fyrstenberg 」があります。 スポンサード リンク
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