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マリオ・ホセ・サンティアゴ(Mario Jose Santiago, 1984年12月16日 - )は、プエルトリコ出身のプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == プエルトリコ出身。のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから16位(全体472番目)で指名されプロ入り。 12月に韓国のSKワイバーンズに入団し、に18試合に登板し6勝3敗・防御率3.40の記録を残した〔阪神サンティアゴ初先発&初勝利 虎3位浮上 日刊スポーツ、2015年5月16日。〕が同年オフに退団した。 1月に、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。3月には第3回WBCのプエルトリコ代表に選出され〔2013 Tournament Roster WBC公式サイト、2015年2月19日閲覧。〕、準決勝の対日本戦に先発して4回1/3を3安打無失点に抑え、日本のWBC3連覇を阻んだ。好投の要因には捕手のヤディアー・モリーナの配球を挙げ〔プエルトリコ先発投手「日本のプレーは予測していたもの」 スポーツナビ、2013年3月18日。〕、自らがSK時代のキャンプで北海道日本ハムファイターズと対戦した経験やスコアラーの情報を元に、配球や投球テンポを工夫したと話した〔阿部ら研究モリーナの配球に完敗/WBC 日刊スポーツ、2014年3月19日〕〔世界に笑われた“スモールベースボール” 東京スポーツ、2013年3月23日〕。しかし、この試合で右肘の靭帯を損傷し、4月にトミー・ジョン手術を受けた。この結果、レギュラーシーズンではマイナーリーグでも1試合も登板しなかった。 は、どの球団にも所属しなかった。オフに、プエルトリコのウィンターリーグであるリーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテに参加し、カリビアンシリーズにも出場した。 3月16日に、阪神と契約した。背番号は「41」〔。前年から2人の投手(ランディ・メッセンジャーと呉昇桓)を含む4人の外国人選手が一軍の主力を担っていた阪神では、いずれかの選手が離脱した場合などに備えて、5人目の外国人選手を調査。その結果、先発・リリーフの両方をこなせるうえに、WBCなどでの実績もあるサンティアゴの獲得に踏み切った〔虎“第5の助っ人”サンティアゴ獲り デイリースポーツ、2015年2月25日。〕。 NPBで同時に一軍へ登録できる外国人選手の上限(最大4名)などとの兼ね合いで、シーズン開幕後はウエスタン・リーグ公式戦での登板が続いた。しかし、メッセンジャーが不振で出場選手登録を抹消されたことを機に、5月15日に来日後初の一軍昇格。同日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)での先発で一軍デビューを果たすと、7回1失点で来日初勝利を挙げた。その後もすべて先発で2試合に登板したが、メッセンジャーが復調したことなどから、同月29日に登録を抹消。球団が6人目の外国人選手として外野手のネルソン・ペレスを獲得したり、メッセンジャーが再び一軍の先発ローテーションに定着したりするといったチーム状況を背景に、抹消後は一軍での登板機会がなかった。結局、翌年の戦力構想から外れたため、レギュラーシーズン終了後の10月6日にプエルトリコへ帰国した。12月2日、自由契約公示された〔2015年度 自由契約選手 2015年12月2日閲覧。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリオ・サンティアゴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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