|
マリオ・ベルティ (Mario Berti、1881年 - 1964年) は、イタリアの軍人(将官)〔Macksey, p. 35〕。最終階級は陸軍大将。 ==軍歴== ===第一次世界大戦=== 1881年、軍港ラ・スペツィア近辺に居住する上位中産階級の家庭に生まれる。生家のベルティ家はピストイアの地主で、平民ながら家柄と経済力のある一家であった。父の代にリソルジメントでジュゼッペ・ガリバルディの千人隊に参加し、その功績を背景に素封家としての地位を得たとされている。 士官の道を選び、第一次世界大戦時には陸軍の青年将校としてリビア方面軍の指揮に関わっていたが、参戦に伴いトレンティーノ地方へ転属となった。アジアーゴの戦いでのオーストリア軍の攻勢に対して果敢に防戦し、同盟国イギリスから大英帝国殊勲章(ディスティングリッシュド・サービス・オーダー、DSO)を授与されている。大戦後、第9自動車化師団『パスビオ』(英語版)、第3自動車化師団『アオスタ侯アメデオ皇太子』(英語版)など自動車化部隊の師団長を務めた。 ファシスト党政権がスペイン内戦への介入を決定すると、マリオ・ロアッタ陸軍大将の副官としてイタリア義勇軍団(Corpo Truppe Volontarie、CTV部隊)の副司令官として従軍した。1938年3月7日、ベルティ率いるCTV部隊はアラゴン攻勢(英語版)でエンリケ・リステルら政府軍と国際旅団に圧勝し、グアダラハラでの汚名を雪ぐ功績を残した。フランコ総統からも信頼を得てCTV部隊の後任司令官に昇格、1939年からはCTV部隊の上位部隊として編成された伊第15軍団の軍団長も務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリオ・ベルティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|