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マリオ・ルミュー(Mario Lemieux、1965年10月5日 - )はカナダケベック州モントリオール生まれのプロアイスホッケー選手である。フランス系カナダ人で、 Lemieux には「至上(the best)」 の意味があるが、まさにその名のとおりの名選手で "Le Magnifique"、"The Magnificent One"、"Super Mario" などと愛称される。多くのホッケー評論家は、その技術、身体能力の高さ(身長193cm 、体重104 kg )からも、ルミューをNHL史上屈指の選手と評価している。ポジションは、センター。 == 経歴 == === 初期 === マリオ・ルミューは、建設作業員であったフランス系カナダ人のジャン・ギイ (Jean-Guy) と同じくフランス系の「ホッケー・ママ(子供のアイスホッケーを熱心に援助する母親。カナダでしばしば見られる。)」 Pierrette Lemieux の間に三人兄弟の末っ子(兄の名はリシャールとアラン)として1965年10月5日ケベック州モントリオールで生まれた。母親が冬の間に絨毯を綺麗に保つために雪を敷き詰めたリビングルームでルミューはスケートを学んだ。少年時代のルミューのアイドルはモントリオール・カナディアンズのセンター、ギイ・ラフレールであった。幼い時からホッケーの神童と認められ、9歳頃からルミューの名前は地元紙に載るようになり、十代になると北米のホッケーファンでその名を知らないものはいない程であったと伝えられる。当時カナディアンズのヘッドコーチであった伝説の人スコティ・ボウマン (Scotty Bowman) は、その若き才能との契約を保証するため、ルミューの所属していたチームを買収することを提案したとされる。 ケベック・メジャー・ジュニアホッケーリーグ (Quebec Major Junior Hockey League、QMJHL) の Laval Voisins で大活躍(3シーズン通算200試合、247ゴール、315アシスト、562ポイント)をした後、1984年NHL ドラフト第1巡目第1位でピッツバーグ・ペンギンズに指名され、その潜在能力を評価するために、ルミューにはウェイン・グレツキーの背番号99を上下逆にした背番号66が与えられた(グレツキーは、この5シーズン前にエドモントン・オイラーズに加入し、数々の記録を塗り替えていた。)。 当時のペンギンズはいわば NHL のお荷物チームで、ルミューの入団前には2年連続最下位(1983-1984シーズンには16勝58敗6引き分け)で終わり、フランチャイズ移転の瀬戸際にあってチームの未来はひとえに18歳のルミューの双肩にかかっていた。 プロ入り初試合では、後に殿堂入りを果すことになるボストン・ブルーインズの名ディフェンスレイ・ボーク (Ray Bourque) からパックを奪うとそのままゴールを決めた。これは初シフトにおける初ショットであった。この後も着実に得点を重ねプロ初年度を終わって NHL 史上3人目となるシーズン99ポイントを上げ、カルダー記念賞(リーグ新人王)を獲得した。 また、先立って行われたオールスターでは、ルミューはルーキーとしては史上初の最優秀選手賞を受賞した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マリオ・ルミュー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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