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マリヌス・アントン・ドンク : ミニ英和和英辞書
マリヌス・アントン・ドンク
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マリヌス・アントン・ドンク : ウィキペディア日本語版
マリヌス・アントン・ドンク
マリヌス・アントン・ドンク(Marinus Anton Donk、1908年8月14日1972年9月2日)はオランダの菌類学者である。菌類の分類学、学名の命名法の分野で働いた。
==略歴==
東ジャワのシトゥボンドに生まれた。オランダに戻り、ハーグの高校を卒業して、ユトレヒト大学で生物学を学んだ。オランダの異型担子菌綱(Heterobasidiomycetes)の研究を行い、1933年に博士号を得た。その後ジャワに戻り、教師として働いた後、1941年からボゴール植物園の標本館の学芸員として働いた。第二次世界大戦中は3年間、日本軍の捕虜収容所ですごし、収容者のために酵母を培養し、ビタミンの不足を補った〔〔。
1944年に植物園から独立したボゴール標本館(Herbarium Bogoriense)の館長を1947年から1955年の間務め、1952年にインドネシア大学の助教授になった。菌類の分類学的研究や命名法の専門家となり、アメリカの菌類学者、ロルフ・シンガーは追悼文で、「近代菌類学の傑出した人物の一人(one of the most outstanding figures of contemporary mycology)」と評した〔。オランダに戻った後、1956年から1980年までライデンの王立植物標本館(Rijksherbarium)の菌類部長を務め、オランダ王立芸術科学アカデミーの会員にも選ばれた〔。1959年に同僚のヘーステラヌス(Rudolph Arnold Maas Geesteranus)と菌類の分子系統学の雑誌、"Persoonia" を創刊した。国際植物会議の命名委員会(Nomenclature Committee of the International Botanical Congresses)で重要な役割を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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