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横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、)は、日本の神奈川県横浜市〔 および横須賀市〔 をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == * 1991年、Jリーグ加盟。Jリーグ創設時からの加盟チームのひとつ。 * 日産自動車サッカー部が前身であり、横浜FMを運営する横浜マリノス株式会社の親会社は日産自動車。 * ホームタウンは神奈川県横浜市〔 と横須賀市〔(2005年より)。横須賀市は2005年以前より、下部組織の練習会場として長年利用されていた。 * ホームスタジアムは日産スタジアム(旧称:横浜国際総合競技場)〔である。2015年までは日産Sに加え、ニッパツ三ツ沢球技場(旧称:三ツ沢公園球技場)も登録上の本拠地として届け出ていたが、2016年からそれを日産Sに一本化した。 *近年は、J1リーグ戦、及びアジアチャンピオンズリーグ(出場の場合)の大部分を日産スで、また平日開催のJリーグカップの大半と、リーグ戦のうち一部の試合(年3-4試合程度)をニッパツで開催している。 *1998年に第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)、2000年に2002 FIFAワールドカップのそれぞれの開催準備に伴う芝生保護の関係で横浜国際総合競技場での試合数が制限され、年間を通して三ツ沢球と折半開催であった。 *ニッパツ三ツ沢球技場はJリーグクラブライセンス制度のA等級である収容人員はJ1基準をわずかに満たす15,454人を確保しているが、B等級「屋根をスタンドの3分の1以上敷設させること」が充足されていない(屋根そのものが設置されていない)ため、本拠地登録が抹消される前年の2015年度まではライセンスは交付されているが、改善策をJリーグに提出するように求める「制裁」を受けていた。〔三ツ沢球技場、基準満たさずJリーグから制裁対象に どうする横浜市 (神奈川新聞2014年10月7日 11月19日閲覧)〕 * 練習場は横浜みなとみらい21にあるマリノスタウン(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)であり〔2016年3月現在、既に施設は取り壊され実際の練習も新横浜公園内で行われているが、Jリーグ公式ページでの表記は変更されていない〕、運営会社の本社もマリノスタウンに置いていたが現在は新横浜に所在する〔。 * 運営会社の本社は神奈川区新子安から移転した。 * 練習場は、戸塚区の戸塚トレーニングセンターからの移転である〔。同地は元々横浜Fの練習場で、横浜Fとの合併以前は鶴見区の獅子ヶ谷グラウンドを用いていた。横浜国際総合競技場の完成後は、日産フィールド小机(小机陸上競技場。横浜国際の補助トラック)でも練習を行っていた。2015年5月に借地の契機満了とみなとみらいの開発計画、維持費の圧迫などによって日産フィールド小机及び新横浜公園への移転が発表され、これに伴いオフィスも移転している。 * チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗り・水夫・海兵隊員などを意味する〔。 * 旧名称は横浜マリノスであり、横浜Fを吸収合併した際に横浜F・マリノスに改称。 * チームカラーは「青・白・赤」〔 のトリコロール(三色)。この三色は元々日産自動車のコーポレートカラーであった。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したクラブを目指す」。 * クラブマスコットは、カモメをモチーフとした「マリノス君」と「マリノスケ」である〔。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生、マリノス君の甥という設定。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加している。2008年に横浜FM非公認のマスコットとして「ワルノス」が誕生し、「ワルノスクイーン」と共に行動している。2008年の開幕戦は「トリコロールランド」でダンスを披露。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場、非売品のグッズ(バンダナなど)のプレゼントや広報活動を行っている。2010年にチームよりTシャツとコインパースが公式グッズとして発売。 * クラブの社長は2016年1月1日より長谷川亨(はせがわ とおる)。〔役員人事に関するお知らせ よお浜F・マリノス 2015年12月25日〕 * ディフェンダーで井原正巳、小村徳男、松田直樹、中澤佑二、栗原勇蔵など、ゴールキーパーで松永成立、川口能活が日本代表に選出されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「横浜F・マリノス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yokohama F. Marinos 」があります。 スポンサード リンク
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