翻訳と辞書
Words near each other
・ マリュー
・ マリュータ・スクラートフ
・ マリュー・ラミアス
・ マリユス・コンスタン
・ マリユス・トレゾール
・ マリユス・プティパ
・ マリユドゥの滝
・ マリユドウの滝
・ マリョルカ島
・ マリョルカ王
マリョルカ王国
・ マリョルカ連合
・ マリョレイン・ファンウーネン
・ マリョーネ
・ マリラ語
・ マリリアAC
・ マリリアネッラ
・ マリリアーノ
・ マリリオン
・ マリリン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリョルカ王国 : ミニ英和和英辞書
マリョルカ王国[くに]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王国 : [おうこく]
 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

マリョルカ王国 ( リダイレクト:マヨルカ王国 ) : ウィキペディア日本語版
マヨルカ王国[まよるかおうこく]
マヨルカ王国(マヨルカおうこく、スペイン語:Reino de Mallorca)は、13世紀から14世紀にかけて、地中海に浮かぶマヨルカ島(マジョルカ、マリョルカとも)を中心としたバレアレス諸島に存在した王国である。
==歴史==

===ジャウメ1世:建国===

マヨルカ王国は「征服王」として知られるアラゴン国王ハイメ1世が立てた国である。彼はイスラム支配下にあった地域の占領に邁進し、1229年からバレアレス諸島マヨルカ島への侵攻を開始する。1232年にはメノルカ島1235年にはイビサ島を制圧した。長男アルフォンソの死後、彼は後妻ヨラーンとの間に儲けた2番目の男子ハイメのために与える国として1262年、マヨルカ領土をハイメに相続する意志を書き留めた。1276年のハイメ1世死去に伴い、アラゴン王国の王位は嫡男ペドロ(ペドロ3世(大王))に継承されたが、遺書に従ってマヨルカ王国はハイメに相続されることとなり、ハイメはマヨルカ王ジャウメ2世(Jaimeはスペイン語でハイメ、カタルーニャ語ではJaumeジャウメ)として即位した。また遺書では同時に、マヨルカ王国はアラゴン王国の従属国であることも明記されていた。
マヨルカ王国の主要部は、バレアレス諸島のマヨルカ島、メノルカ島、イビサ島、フォルメンテラ島などから構成されていた。しかしこうした島嶼部以外にも、マヨルカ国王は同時にルシヨン伯領とセルダーニュ伯領、およびオクシタニア(南フランスからスペイン北東部にかけての地域)内でハイメ1世が獲得したモンペリエ統治権、オーヴェルニュのCarlat子爵領、Aumelas男爵領も保有した。
しかしハイメ1世の遺したこのような遺産こそが、まさにその後隣国に翻弄され続けるマヨルカ王国の運命を決めてしまったといえる。なぜなら地中海と大陸に散らばる王国の飛び地は、当時しばしば領土紛争を起こしていた2つの大国フランス王国カペー朝)・アラゴン王国の領土の合間に存在したからである。この王国の脆弱さを自覚していたハイメ1世は、在世中にセルダーニュを完全に征服して新しい王国に統合しようとした。またさらにサヴォイア家のアメデーオの娘ベアトリーチェと息子ジャウメとの縁談を進めたが、かなわなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マヨルカ王国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kingdom of Majorca 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.