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マリリン・モンローの白いドレス : ミニ英和和英辞書
マリリン・モンローの白いドレス[まりりん もんろーのしろいどれす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
白い : [しろい]
 【形容詞】 1. white 

マリリン・モンローの白いドレス : ウィキペディア日本語版
マリリン・モンローの白いドレス[まりりん もんろーのしろいどれす]

マリリン・モンローの白いドレス(マリリン・モンローのしろいドレス)では、1955年の映画『七年目の浮気』の最も有名なシーンに登場する、マリリン・モンローがまとった白いドレスについて記述する。
衣裳デザイナーのがデザインしたこの衣裳はそれ自体が映画史アイコンとみなされており、風を吹き上げる地下鉄通気口の上でこのドレススカートをはためかせるマリリン・モンローの姿は20世紀を象徴するとも称される。
==背景と歴史==
ウィリアム・トラヴィーラ、というより単にトラヴィーラとして知られる衣裳デザイナーはマリリン・モンローの仕事を始めた頃すでに1948年の映画『』でその仕事を認められオスカーを受賞していた。1952年に『ノックは無用』でマリリンの衣裳を手がけるようになるのだが、まだこの時点では20世紀フォックスに幾らでもいる衣裳デザイナーの一人でしかなかった。その後トラヴィーラは8本の映画でこの女優の衣裳をデザインし、彼の告白を信じるならば、二人は短い不倫関係を持つまでになった(1955年にマリリン・モンローが着た白いカクテルドレスのデザインに取り組んでいる間、トラヴィーラの妻ドナ・ドレイクは旅行中だった)。そしてこの当時から今日にいたるまでドレスは彼の最も有名な作品のままである〔。しかしデイル・マカナシーとダイアナ・ヴリーランドの共著『ハリウッド・コスチューム』によれば、実はトラヴィーラはこのドレスをデザインしたわけではなく既製品を購入しただけである(本人はこの主張をことあるごとに否定している)。
映画の中で白いドレスが登場するのは、当時マンハッタンのレキシントン通り586番地にあったトランス・ラックス52丁目劇場からマリリン・モンローと共演者のトム・イーウェルが出てくる場面である。二人は1954年のホラー映画『大アマゾンの半魚人』を見終わったばかりだった。歩道の格子窓の下から地下鉄が通過する音が聞こえ、モンロー扮するヒロインは鉄格子まで足をのばしてこう言う。「あら、地下鉄から風が吹いているのね?」(''Ooo, do you feel the breeze from the subway?'' )。そのとき風がドレスを巻き上げ、彼女の足が露わになるのだ。もともとこのシーンは1954年9月15日の午前1時にトランス・ラックス劇場の外で撮影が行われる予定だった。しかし女優とカメラマンとが揃ったことで大勢のファンたちの好奇心をくすぐってしまい、監督のビリー・ワイルダーは20世紀フォックスのセットでの撮影を余儀なくされたのである。この通気口での演出は1901年の短編映画『ニューヨーク23番通りで何が起こったか』によく似た場面があることからしばしばこれと比較されるが〔Rosemary Hanes with Brian Taves. "Moving Image Section—Motion Picture, Broadcasting and Recorded Sound Division " The Library of Congress. Retrieved 5 January 2011.〕〔Lee Grieveson, Peter Krämer. ''The silent cinema reader'' (2004) ISBN 0-415-25283-0, ISBN 0-415-25284-9, Tom Gunning "The Cinema of Attractions" p.46 . Retrieved 5 January 2011.〕、いまなお20世紀全体を見渡しても最も象徴的なシーンの一つであると評されている。
1962年にモンローが亡くなった後、トラヴィーラはこのドレスをはじめとして長年にわたり彼女のためにつくりあげてきた何枚もの衣裳を門外不出にしてしまった。そのため久しく「失われたコレクション」とまで言われてきたが、1990年に彼が死んだことで、同業者でつきあいのあったビル・サリスの手によってようやくこれらの衣裳が日の目を見ることになった。そしてこのドレスはデビー・レイノルズによるハリウッド・グッズの私蔵コレクションの一つとしてハリウッド映画博物館におさめられた。オプラ・ウィンフリーのインタビューに答えてドレスの話をしたレイノルズはこう語っている。「〔あのドレスは〕淡褐色です。ご存じでしょうが今ではとてもとても古いものですから」。しかし彼女は2011年に全コレクションをオークションにかけると発表し、売却は徐々に行う予定で、第一弾を2011年6月18日に開催するとコメントを出した。オークションを前に設定された予想価格は1万ドルから2万ドルの間だったが、実際には5.6万ドル(4.6万ドルにプラスしてコミッションの1万ドル)を上回る額で落札された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリリン・モンローの白いドレス」の詳細全文を読む




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