翻訳と辞書
Words near each other
・ マリンゲイ族
・ マリンゲート塩釜
・ マリンコ
・ マリンコング
・ マリンコングの大逆襲
・ マリンコンストラクター
・ マリンコ・マトセビッチ
・ マリンコー
・ マリンシティーあさま
・ マリンジェット
マリンジャンボ
・ マリンスキー劇場
・ マリンスタジアム
・ マリンスノウ
・ マリンスノー
・ マリンスノーの伝説
・ マリンスポーツ
・ マリンスポーツ板
・ マリンスポーツ財団
・ マリンズ・ファイスト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリンジャンボ : ミニ英和和英辞書
マリンジャンボ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


マリンジャンボ : ウィキペディア日本語版
マリンジャンボ
マリンジャンボ (Marine Jumbo) は、全日本空輸 (ANA) のスペシャルマーキング機の嚆矢ともいえる存在で、クジラ生き物の仲間を機体一杯にユーモラスに描き、マスコミでも盛んに取り上げられた。1993年から約1年半の間、国内線定期便の運用に組み込み、日本全国の空港を交互に訪問する形態を取った。「マリンジャンボ」は全日本空輸の登録商標(日本第4284977号)である〔出願したのは1993年だが、商標登録されたのは運行終了から4年が経過した1999年6月18日だった。〕。
== 概要 ==

ANAが創設以来の乗客数累計5億人突破を記念し、1992年12月から2か月にわたり、一般からスペシャルマーキングを募集した所、最優秀作として千葉県在住の小学校6年生の女子児童だった大垣友紀惠〔後にプロのデザイナーとなり、2012年現在では広告代理店アサツー ディ・ケイのアートディレクター。→外部リンク参照〕の、機体一杯にクジラの姿をユーモラスに描き、その他海の生き物をあしらった形の作品が選ばれた。新規に受領した機体ボーイング747-400D登録記号:JA8963)機にそのペイントが施され、海の生き物をあしらったことからANAは「マリンジャンボ」と名づけ、1993年9月12日羽田 - 札幌間のフライトを皮切りに、1年半の期間限定ながらフライトを開始した〔大垣もこの便に搭乗した。さらに運航終了記念として伊丹空港でマリンジャンボへの「落書き」イベント(写真「ANA 747-481D マリンジャンボ JA8963」は当イベント時に撮影)が行なわれたが、このときにも参加している。〕。また、昨今のスペシャルマーキング機の大半は印刷された特殊フィルムの貼り付けであるが、当機は全面塗装で仕上げられている。新造機であり、「生まれつき」マリンジャンボであったが、ボーイングの機体価格に関わる条項に塗装の手間による区分が無く他のボーイング747-400Dと同価格での納入だったという。
羽田(ときに伊丹〔羽田⇒伊丹⇒那覇(→羽田)と言った変則路線も組まれた。〕)を拠点に定期運航に組み込まれる形で日本各地の空港を訪問、ほぼ1空港1か月で訪問先を交替、というサイクルが組まれ、時刻表上でもどのフライトに同機が割り当てられるか一目で分かる工夫も取られていた。この工夫とはマリンジャンボは「青クジラ」のマーク〔型式であるボーイング747-400Dは通常塗装機に対しては当時はB44と記載。〕で、後述する「マリンジャンボJr.」は「赤クジラ」のマーク〔型式であるボーイング767-300は通常塗装機に対しては当時はB6Sと記載。〕で表示されていた。ただし、時刻表に記載されていても運航する日程は限定されていて、運航されない日は通常塗装の該当型式で運航されていた。当時のANA関係者は不備が出て運航日でありながら急遽「通常塗装の機材に変更」とならないようにスケジュールどおりの運航させることに神経を使った。また、多数発売された関連グッズの売れ行きも好調、このスペシャルマーキング機が訪れる空港は見物人が大挙して押しかける、等々社会的にも大きな影響を及ぼし、航空不況と言われていた時代に、ANAにとって国内線の乗客増にも貢献するヒット作となった。
しかし、ボーイング747-400Dでは離着陸できる空港が限定されており、小規模な地方空港からも同種のスペシャルマーキング機の訪問を望む声が出てきたため、ボーイング767-300(登録記号:JA8579)に同種のペイントを施し、「マリンジャンボJr.」としてこちらはローカル空港への訪問を主目的とした運航が組まれることとなり、同年12月1日に羽田 - 富山線に初就航。2機揃った「クジラの親子」は好評のうちにスケジュールを消化していった。
当初は「マリンジャンボ」「マリンジャンボJr.」とも新規導入から1年5か月後の1995年1月末をもって、整備期に合わせて一般塗装に戻される予定だったが、阪神・淡路大震災発生による山陽新幹線山陽本線不通の影響もあってANAが全社を挙げて機材のフル稼働を余儀なくされ、そのしわ寄せで一般塗装への変更も延期され、結局は同年5月末までその雄姿を披露することとなった。ただし当初の運航予定が完了し、また震災直後の世情に配慮という事情もあったからか、時刻表上の注記は2月からは消滅している。
1995年5月末をもって全運航を終了し、JA8963・JA8579とも整備時に一般塗装へ変更され外見上は「普通のANA機」に戻った。その後も、機内入口にそれぞれ「マリンジャンボ」「マリンジャンボJr.」としての功績を記念するプレートが取り付けられ、華やかにフライトした時期をささやかながら後世に伝える形となっていた。なお、「マリンジャンボJr.」だったJA8579は2006年2月の神戸空港開港時に開港記念のロゴマークを入れられ、同空港ANA就航初便に起用された。
2008年10月30日、ANAは佐賀インターナショナルバルーンフェスタへ参加する際の熱気球のデザインを大垣が手がけ、気球のデザインの一部としてマリンジャンボが描かれると発表。間接的ながら、元のデザイン者の手で復活を果たすことになった〔ANA特別塗装機マリンジャンボも乗せて「ANA熱気球」が、大空に舞い上がります〜マリンジャンボを手がけたアートディレクターの大垣友紀惠さんがデザイン〜 (全日本空輸公式サイトより)〕。
また同年、ANA協力の映画『ハッピーフライト』の公開を記念して監督と出演者の直筆サインの入ったプレートが上映期間中飾られた。これは前述のマリンジャンボであったことを示す記念プレートの設置場所に取り付けられた。同時にL1ドアとL2ドアそしてR1ドアとR2ドアの間の胴体表面にも「ハッピーフライト」の広告ステッカーが取り付けられた。なお、このプレートとステッカーは同様に国際線用機にも取り付けられ、こちらはボーイング747-400(登録記号:JA8097)〔現在は、ANAの営業路線からは退いている。〕〔2009年10月の登録機変動 〕に飾られた。
2011年8月3日、マリンジャンボとして活躍したJA8963がANAのB747-400Dとしては登録抹消となった。ANAの2011年度の機材計画には入っていなかったが、前倒しする形での退役となった。退役後の機体は、スクラップ・パーツ取りとなっている〔(リンク先タイトルはJA8964となっており機体番号が異なるが、垂直尾翼手前の塗装の補修跡からこちらが当該機になると思われる)〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリンジャンボ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.