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マリ・ダグー ( リダイレクト:マリー・ダグー ) : ウィキペディア日本語版
マリー・ダグー[ちょうおん]

マリー・カトリーヌ・ソフィー・ド・フラヴィニー(Marie Catherine Sophie de Flavigny, Vicomtesse de Flavigny、1805年12月31日 フランクフルト・アム・マイン - 1876年3月5日 パリ)は、マリー・ダグー(伯爵夫人)Marie, Comtesse d'Agoultの名でよく知られ、ダニエル・ステルンDaniel Sternというペンネーム作家ジャーナリストとして活動した。またフランツ・リストの愛人で、コジマ・リストリヒャルト・ワーグナーの妻)の母である。
亡命フランス貴族A.V.F.ド・フラヴィニー子爵の娘としてフランクフルトに生まれた。フランスで教育を受けた後、10歳の時にフランクフルトのサクレ・クール修道院で過ごした。16歳の時に修道院を出ている。1827年にダグー伯爵(Charles Louis Constant d’Agoult, Comte d'Agoult:1790年 - 1875年)と結婚した。伯爵との間にはルイーズ(Louise, 1828年 - 1834年)、クレール(Claire, 1830年 - 1912年)の2人の娘を儲けたが、1835年に離婚した。1835年から1839年までフランツ・リストとジュネーブやイタリアで同棲した。彼との間にはブランディーヌ(Blandine, 1835年 - 1862年:エミール・オリヴィエと結婚)、コジマ(Cosima, 1837年 - 1930年)、ダニエル(Daniel, 1839年 - 1859年)の1男2女を産んだ。当時の貴族階級の慣例に従って生まれるとまもなく乳母の手にゆだねられた。
作家としては1841年から1845年に小説(''"Hervé"''、''"Julien"''、''"Valentia"''、''"Nélida"'')を初めて著した。その後ステルン名義でルポルタージュ的な''"Histoire de la Révolution de 1848"''(『1848年革命史』、1851年刊、2巻)を著し、これが最も有名な作品である。その他に''"Esquisses morales"''(1849年)、''"Trois journées de la vie de Marie Stuart"''(1856年)、''"Florence et Turin"''(『フィレンツェとトリノ』、1862年)、''"Histoire des commencements de la république aux Pays-Bas"''(『ネーデルラント共和国草創史』、1872年)、''"Mes souvenirs"''(『回想記』、1877年)などがある。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・ダグー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Marie d'Agoult 」があります。




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