翻訳と辞書
Words near each other
・ マリーギナ海峡
・ マリークレール・アラン
・ マリーゴッド
・ マリーゴールド
・ マリーゴールド (曖昧さ回避)
・ マリーゴールドクリニック
・ マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章
・ マリーゴールド・ホテルで会いましょう
・ マリーサ
・ マリーサ・パバン
マリーザ・サンニア
・ マリーザ・バロス
・ マリーザ・モンチ
・ マリーシア
・ マリージョイ
・ マリージョーイ
・ マリース
・ マリース・アウレット
・ マリース・ウエレ
・ マリース・ジョー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリーザ・サンニア : ミニ英和和英辞書
マリーザ・サンニア[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリーザ・サンニア : ウィキペディア日本語版
マリーザ・サンニア[ちょうおん]
マリーザ・サンニア (''Marisa Sannia '' ,1947年2月15日 - 2008年4月14日)はイタリアの歌手。作曲家、女優としても知られる。
==略歴==
サルデーニャイグレージアスに生まれる。もともとはバスケットボールの選手だった。
子どもの時に最も大きな町カリャリに移住し、ハイスクールを卒業後はラジオ・カリャリのアナウンサーになった。
1966年のテレビフェスティバル「カンツォーネッシマ」の新人コンテストに優勝し、フォニット・チェトラ・レコードからスカウトされ1966年にデビュー。
その才能をセルジオ・エンドリゴルイス・バカロフに見出される。1968年サンレモ音楽祭入賞曲「Casa bianca カーザ・ビアンカ」(パートナーはオルネラ・ヴァノーニ)が大ヒットし、可愛らしい容姿と個性的な歌声で一躍スターとなる。同音楽祭では1970年に「L'Amore e Una Colomba 恋は鳩のように」(パートナーはジャンニ・ナザーロ)、1971年に「Com'è dolce la sera 夕べの瞳」(パートナーはドナテッロ)、1984年に「Amore amore アモーレ・アモーレ」で入賞し、彼女の代表曲となった。1970年大阪万博の時に来日している。その後も長く歌手活動を続けたが、特に故郷サルデーニャの古謡の研究に情熱を注ぎ、自ら作曲した作品も含め、そのサルデーニャ語での歌唱は高く評価されている。2008年、カリャリにおいて急死。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリーザ・サンニア」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.