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マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン : ミニ英和和英辞書
マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン : ウィキペディア日本語版
マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン[ぶる]

ベリー公爵夫人マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン(Marie Caroline Ferdinande Louise de Bourbon, La Duchesse de Berry, 1798年11月5日 - 1870年4月16日)は、両シチリア王女にしてフランスの王位継承者ベリー公シャルル・フェルディナンの妃。パルマ公カルロ3世の妃ルイーズとシャンボール伯アンリ・ダルトワの母。
== 生い立ち==
1798年11月5日にシチリア島パレルモで生まれた。父は後の両シチリア国王フランチェスコ1世、母は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の娘マリー・クレメンティーネである。
マリー・カロリーヌが生まれた頃、ナポリシチリア王国のブルボン家はナポレオン・ボナパルトイタリア遠征による南イタリア侵略によって、宮廷をナポリからパレルモに移していた。
復古ブルボン朝のフランス国王ルイ18世には子供がおらず、王弟アルトワ伯爵(後のシャルル10世)の長男であるアングレーム公夫妻にも子供はいなかった。次男ベリー公シャルル・フェルディナンはイギリス亡命中の1806年にイギリス人女性エイミー・ブラウンと結婚し、既に2人の女児がいたが、この結婚は国王ルイ18世にも教会にも認められていなかった。世継ぎを必要としたフランス王室は、オーストリア皇帝フランツ1世の姪でありブルボン家の血も引く、当時17歳のマリー・カロリーヌをベリー公の正式な妻として迎えた。1816年6月17日、2人はノートルダム大聖堂で結婚し、エリゼ宮で生活した。結婚後も愛人と別れないベリー公とは口論を繰り返したが、マリーは1818年7月13日に女児を出産、しかし翌日に亡くなった。だが再びすぐに妊娠し、1819年9月21日、長女ルイーズを出産した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン」の詳細全文を読む




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