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マリー・ド・ブローニュ : ミニ英和和英辞書
マリー・ド・ブローニュ[ぶろー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブロー : [ぶろー]
 【名詞】 1. blow 2. (n) blow

マリー・ド・ブローニュ : ウィキペディア日本語版
マリー・ド・ブローニュ[ぶろー]
マリー・ド・ブローニュ(Marie de Boulogne, 1136年 - 1182年)は、ブローニュ女伯(在位:1159年 - 1170年)。父はイングランドスティーヴン、母はブローニュ女伯マティルド
修道女として過ごしていたが、1153年に兄ウスタシュ4世が、1159年に弟ギヨーム1世が跡継ぎなしに早逝して兄弟姉妹の唯一の生き残りとなったため、ブローニュ伯を相続、翌1160年にフランドル伯ティエリー・ダルザスの次男と結婚した。マリーは(1160年 - 1216年)とマティルド(, 1170年 - 1210年)の2女を儲けたものの、1170年にマチューと離婚、修道院に戻ることになり、1182年に亡くなった。
その後、ブローニュはマシューの単独統治となったが1173年に戦死、長女イドが相続した。イドは最初ゲルデルン伯ハインリヒ1世の子ゲルハルトと結婚、2度目にツェーリンゲン公ベルトルト4世と結婚、3度目にダンマルタン伯ルノーと結婚し、ルノーとの間に後にブローニュ伯を継承するマティルド・ド・ダンマルタンをもうけた。次女マティルドはブラバント公アンリ1世と結婚した。
== 備考 ==
素性不明の詩人マリー・ド・フランスの正体は、一説にマリー・ド・ブローニュであるとされる。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・ド・ブローニュ」の詳細全文を読む




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