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マリー・ド・ベリー : ミニ英和和英辞書
マリー・ド・ベリー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

マリー・ド・ベリー : ウィキペディア日本語版
マリー・ド・ベリー[ちょうおん]

マリー・ド・ベリー(Marie de Berry, 1367年 - 1434年)は、フランスヴァロワ朝の王子ベリー公ジャンと最初の妃ジャンヌ・ダルマニャック(ベルナール・ダルマニャックの叔母)の次女で末子。オーヴェルニュ女公。
初め、ルイ3世・ド・シャティヨンと結婚したが、1391年に死別した。2人の間の子供はなかった。
次いで1393年にウー伯フィリップ・ダルトワと結婚したが、1397年に死別した。2人の間には4子が生まれた。
*シャルル(1394年 - 1472年) - ウー伯
*フィリップ(1395年 - 1397年)
*ボンヌ(1396年 - 1445年) - 1413年にヌヴェール伯フィリップと結婚、1422年にブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンと再婚
*カトリーヌ(1397年 - 1420年) - 1416年、カランシー領主ジャン・ド・ブルボン(ラ・マルシュ伯ジャン1世の三男)と結婚
最後に1400年、ブルボン公ジャン1世と結婚した。2人の間には3子が生まれた。
*シャルル1世(1401年 - 1456年) ブルボン公
*ルイ(1403年 - 1412年)
*ルイ1世(1405年 - 1486年) モンパンシエ伯
1416年に父ベリー公が死去した時、マリーの兄たちはすでになく、その子供もいなかったため、父の遺領のうちオーヴェルニュ公領、モンパンシエ伯領などを相続し、夫ブルボン公と共同でオーヴェルニュ女公およびモンパンシエ女伯となった。これらの所領はのちに、ブルボン公との間の息子のうち、夭逝した次男を除く2人に分け与えられた。
しかしブルボン公はその前年、アジャンクールの戦いで捕虜となってイングランドへ送られており、帰国しないまま1434年に死去した。マリーは父の遺領だけでなくブルボン家の家領も代わって統治し、この最後の夫と同じ年に死去した。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリー・ド・ベリー」の詳細全文を読む




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