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マルカツデパートは、北海道旭川市にあるテナントによって構成される商業施設である。平和通買物公園に面する。 かつては日本の百貨店の一つであった。 == 歴史・概要 == 1918年(大正7年)に松村勝次郎が北海道旭川市で松村呉服店を創業したのが始まりである〔。 1924年(大正13年)に現在地である旭川市2条7丁目に移転し、1936年(昭和11年)に丸勝松村百貨店を設立して百貨店化した〔。 札幌市から進出してきた北海道最大手の百貨店だった丸井今井旭川店と共に旭川の2大百貨店として激しい競争を繰り広げ、1965年(昭和40年)には売場面積3,500m²で売上高8.5億円を上げて、丸井今井の16.0億円(売場面積4,411m²)に次ぐ旭川では2番手の百貨店となっていた。 1969年(昭和44年)に地上3階地下1階に改築する〔など規模拡大を図り、その後松山正雄が率いる旭川の有力な繊維卸小売業者だった東栄の傘下に入って松村家から経営権が移った為、1971年(昭和46年)にマルカツデパートに改称した〔。 その後も百貨店として経営され続けたが、経営母体だった東栄が業績悪化に伴って1997年(平成9年)に400人規模の大規模な人員削減に追い込まれ〔、メインバンクだった北海道拓殖銀行の破綻に伴って1998年(平成10年)に債権が整理回収機構に引継がれて新規融資が受けられなくなった〔影響を受けて、2001年(平成13年)2月中旬に直営売場を廃止して百貨店としての営業を終え、翌月3月からは店舗名は従来通りながら全館テナントのビルとして営業を再開した〔。 そして経営母体の東栄が2003年(平成15年)1月28日に負債総額約350億円を抱えて民事再生法の適用を申請して事実上破綻し〔、応札があった3社の中から選んだローンスタージャパンにホテルやケーブルテレビ局などと共に総額23.98億円で売却されて経営権が再び移行したが、店舗名もテナントも変化なく、従来通り営業を続けていた。 しかし、2011年(平成23年)に入ると、1月31日に主要なテナントの一つだった大型書店「冨貴堂MEGA」(売場面積1,600m²、約15万冊)が閉店して撤退するなど集客力に陰りが生じ、同年12月には名寄市に本拠を置く海晃が約3億円で買収して3度目の経営権移行が行われたことが明らかになるなど変化が見られたが、従来通りの店舗名マルカツデパートで営業が続けられている〔。 2012年(平成24年)に入ると、旭川駅再開発事業(北彩都あさひかわ事業の一部)に伴い駅前の旭川エスタが同年7月末で営業終了した〔“旭川エスタが閉店企画 特産品市やコンサート”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年7月13日)〕関係から、エスタに入居していたアニメイトなど一部テナントがマルカツに移転。2015年(平成27年)にはエスタ跡にイオンモール旭川駅前が開業したが、その前後にも新規テナントの入居があり、2015年現在目立った空きテナントは前述の「冨貴堂MEGA」退去跡程度となっている。 なお旭川空港ターミナルビル2階にある「マルカツ店」は、元々は1982年にマルカツデパートの支店として出店したものの〔、2015年現在は有限会社だうんひる(本社・富良野市)〔会社概要 - 有限会社だうんひる〕の運営となっており、マルカツデパートとは運営が切り離されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「マルカツデパート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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